祖父のこと
今日のテーマ「祖父のこと」

 先日、本棚を整理していたら、一冊のファイルが出て来た。新しい本が入るたび、いつの間にか奥へ奥へと押しやられていた青いファイル。
 見た瞬間、それが何か、すぐに思い出した。
 ここしばらくの慌しさにかまけて、その存在を一瞬でも忘れていた自分に腹が立った。

 祖父の形見だった。



 祖父は、ぼくが中学三年生のときに亡くなった。
 母方の祖父である。
 父方の祖父は、ぼくが生まれる十年以上も前に鬼籍に入っていた。だから、ぼくにとって「祖父」と言えば、ただ一人、祖父だけだった。
 ちょうど、日本人男性の平均寿命くらいだった。早すぎるということはないのだろう。一番上の孫(つまりぼくの従兄弟)は当時すでに大学を卒業した勤め人だった。
 祖父の訃報に初めて接したとき、ぼくは泣かなかった。
 泣けなかった。
 祖父と親しく話した記憶が、ぼくにはほとんどなかった。

 祖父が生まれたのは雪国の真冬である。寡黙な人だった。
 同居していれば、たくさん話をする機会があったのかも知れないが、離れて暮らしていた。祖父と会えるのは、盆と正月、親族が集まるときくらいだった。
 ぼくが真っ先に思い出す祖父の姿は、居間でテレビを見ているときでも、背筋をしゃんと伸ばして座っている姿である。
 幼心に、気安く甘えられなかった。

 祖父には、こんなエピソードがあった。
 祖父が暮らす家の庭に、ときおり猫が現れるようになった。野良猫である。餌を求めて、あたりをふらついていた。
 追っ払おうとした家人を制して、
「かわいそうだ。残飯をあげなさい」
 そう諭した。
 野良猫はたびたび現れた。あるとき、祖父は自ら、小皿に持った残飯を野良猫の前に差し出した。
 野良猫は、祖父の指を噛んだ。
 以来、祖父は野良猫を「出入禁止」にした。
 野良猫はその後も庭に現れたが、祖父は一切、何も与えようとしなかった。
 ぼくが幼い頃に聞いた話だった。

 それでも、ぼくは祖父を敬遠していたわけではなかった。
 むしろ、祖父のことが好きだった。
 それは、ある種の憧れだったのかも知れない。両親とは違った厳しさを持つ祖父に対する、敬意。

 好きだったから、祖父に「行儀の悪い子だ」嫌われたくなくて、お小遣いをもらったときも「ありがとうございます」頭を下げてお礼を言った。
 本当は、もっと甘えたかった。
 少しくらい怒られてみたかった。
「お小遣いちょうだいっ」
 抱きついて言ってみたかった。
 なのに、それを怖がってしまった。

 ぼくはいつも、祖父と話す機会を伺っていた。
 ほんとは、たくさんたくさん、話したかった。

 おじいちゃんが子どもの頃は、何が流行ってた?
 町並みはどんなだった?
 戦争って大変だった?
 おばあちゃんとどうやって出会ったの?
 ぼくのお母さんが生まれたとき、どれくらい嬉しかった?
 ぼくが生まれたときも、嬉しかった?
 
 一番聞いてみたかったのは、ぼくの名前である。
 ぼくの名は祖父が付けた。あれこれと考えた末、命名してくれたのだと言う。
 どうしてその名にしたの?
 母から、だいたいの意味は聞いていた。でも、祖父との対話の中で、それを聞いてみたかった。

 どれもこれも話せぬまま、祖父は逝ってしまった。



 祖父の葬儀が済んだ夜、親族だけの集まりとなった。話は、自然と祖父を偲んだものとなった。

 ぼくの父方の祖母が亡くなったとき、祖父は、すでにそのとき体調を崩していたのに、一人、電車を何度も乗り継ぎ、葬儀場に訪れた。
「無理しなくていいから」と言った母に、
「馬鹿者、お前が嫁いだ家だろ、俺が挨拶に行かなくてどうするんだ」電話口で怒鳴って、杖を片手に、訪れた。背筋は真っ直ぐ伸びていた。

「お祖父ちゃん、亡くなる少し前、寝言でお前の名を呼んだよ」
 伯母が笑顔でぼくに言った。
「末孫だからね、一番可愛いって、よく言ってたよ」

 祖父の使っていた箪笥から、丁寧に整理されたファイルが出て来た。古銭や旧札の収集が趣味だった祖父が、
「俺が死んだら、一番歴史好きな孫にやるんだ」
 言って、管理を怠らなかった青いファイル。

 盆栽が趣味だった。家の敷地の半分は、盆栽置き場だった。
 あるとき、近所の人が祖父に言った。
「これだけの土地を盆栽置き場にしとくなんて勿体ない、人に売ってしまえばいいのに」
 祖父は真面目に答えた。
「嫁いだ娘たちが、万が一帰って来ちまったとき、住む家がなくちゃ困るだろう。そのときに備えて、守ってるんだ」

 野良猫の話も出た。「出入禁止」になった野良猫の話。
「あの後、野良猫は死んじゃったの?」
 尋ねたぼくに、伯母が答えた。
 死ななかったよ。
 おじいちゃんの命令で「出入禁止」にして、みんなその言い付けを守って餌をやらなくなったけど、気が付いたら、おじいちゃん自身がこっそり餌をやってた。



 要するに、祖父はそういう人だった。

 祖父が、だいぶ昔に使っていた手帳が出て来た。
 ページの始めの方に、人の名前がいくつも書いてあり、ぼくの名前もあった。ぼくの名前に、丸が付けてあった。
 見てすぐにわかった。
 ぼくに命名するときの、苦心と想いの跡だった。
 辞書で引いたのだろう、走り書きのメモがあった。
 祖父らしい、几帳面な字だった。

『人の言うことに嘘があってはならない』
『中国語で“手紙”の意味もある。一通の手紙のように、人に気持ちを届けられる子になってくれたら』

 そのとき、ぼくは初めて泣いた。
 葬式のときにも流れなかった涙を初めて零した。
 泣きながら、祖父の胸の中で泣きじゃくってみたかったと思った。もう叶わぬ思いがいっそう涙を流させた。



 もうすぐ、祖父の命日である。
 墓参りに行こうと思う。行って、祖父の墓前で、祖父に語りかけようと思う。

 祖父よ、ぼくは元気に生きています。
 あなたとたくさんお話ししたかった。
 でも、今はそうするわけには行かない。
 ぼくには、たくさんやるべきことがある。
 だから、話すのはずっとずっと先になるけど。

 祖父よ、見ていて下さい。
 ぼくは、

 ううん。

 おじいちゃん、見ててね。
 ぼくは、おじいちゃんみたいに寡黙でも謹厳でもないけど、そんなにかっこ良くは出来ないけど。
 それでも、おじいちゃんが付けてくれてこの名前を大切に、いっぱいいっぱい頑張って、もっともっと強くなるから。
 だからおじいちゃん、ぼくを見守ってててね。
 誰よりも、ぼくを守ってね。
 ごめん、少し甘えたね。許してくれるよね。
 おじいちゃんの孫に生まれて良かったよ。
 これからも、ぼくを見ててね。



 そう語りかけて来ようと思った。
【2007/06/30 05:21】 | 月の砂漠 | トラックバック(0) | コメント(1)
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