予測変換
今日のテーマ『予測変換』


 予測変換、という機能が、最近の携帯メールには備わっている。ある言葉を入力したいとき、最初の数文字を入力すれば、機械が予測してその言葉を表示してくれるというアレである。
 例えば、
「よろ」
 と打てば、
「宜しくお願い致します」
 と出て来るように。

 機種によって、そのシステムはまちまちなようだ。
 過去に入力した履歴に基づくものから、一般的に使用頻度の高い言葉を提示するものまで、様々である。
 メール大好きな女子高生ならいざ知らず、携帯電話の小さなボタンで一文字づつ打ち込むというのは、なかなか面倒な作業であり、特に、ぼくのように、メールの文面がときにちょいとした小論文ほどの長さになるような使い手にとっては、この機能は大変にありがたい。

 はずなのだが。

 ぼくの使っている携帯は、この予測機能が、ちょっとおかしいようなのである。

 先日、メールを打っていた際、
「初耳」
 と、ぼくは打とうとした。従って、は、つ、と打っていく。
「初日の出」
「初詣」
「初鰹」
 などの言葉が表示される。
 ぼくはさらに、み、と打った。

「初美みてぇだな」

 と表示された。

 目が点である。何だこれは?
「初美」
 だけならまだわかる。ぼくには“初美”という知り合いは居ないが、そうした予測変則が為されることは有り得ると思う。
 だが、

「初美みてぇだな」

 である。真っ先にそれが出て来た。
 一体、ぼくのどんなところが初美みてぇなのだろう。知ってたら誰か教えてほしい。


 それまでは変換機能などさして注視していなかったのだが、この初美騒動をきっかけに、ぼくは、我が愛しの携帯(この携帯の入手にまつわる経緯は過去のブログをご参照下さい)が、どれほどの予測機能の持ち主なのか、俄然気になり出した。
 単純に、入力履歴を表示するだけなら、それはそのまま持ち主の個性だが、幸いにして、我が携帯は、履歴と予測変換とが同時に出る。
 予測変換は、言わば、携帯自身の性格である。

 考えてみれば、一日の多くを身を寄せ合って過ごしている仲のぼくと携帯である。そんな愛すべきパートナーの性格を知っておくことは悪くない。
 早速、実験してみよう、と思っていたところ、友人からメールが来た。久方ぶりに連絡が来た友人で、アドレス替えたので登録よろしく、という内容の文面だった。
 ふむ、よい機会だ。これに返信しながら、我が携帯の性格を見極めてやることにしよう。

 ぼくは、
「アドレス変更、おっけー。暇があれば食事でも」
 と打つことにした。
 まずは、あ、ど。
 この辺で予測変換。
 幾つかの言葉が表示される。

「アドリブ」
「アドベンチャー」
「アドレス」

 アドレス、より先に、アドリブでアドベンチャー。
 なかなか恐い物知らずのようである。
 さらに予測させると、

「アドリアーノ」

 誰? あどりあーのって誰? 君の本名?

「アドリア海」
「アドルフ=ヒトラー」

 そうか。ヨーロッパが好きなんだね。


 続けて、変更、と打つ。
 へ、ん。

「返済」
「偏見」
「変貌」
「偏頭痛」

 どうしたことだろう。この不穏な言葉の並びは。
 偏見と借金返済に苦しみ偏頭痛に悩まされた彼はすっかり変貌してしまった・・・そんな悲劇に胸が痛む。
 さらに予測を進めると、

「ヘンダーソン」

 だから誰? 変貌したのはそいつ?


 続けて「おっけー」と打つ。
 お、っ。

「おっかなびっくり」
「おっきい」
「おっぱい」

 あああああ、恥ずかしい、ヘンダーソンのエッチ!


 赤面したまま「暇があったら」と打つ。
 ひ、ま。

「暇で暇で」
「日増しに」
「肥満」

 そうなのか。そうだったんだねヘンダーソン。


 最後に「食事でも」のくだり。
 し、ょ、まで入力したところで、

「小心者」
「初心者」
「しょうがない」

 何をいいわけしてるんだいヘンダーソン?



 ようやく友人に返信を終え、ぼくは改めてヘンダー、いや、我が愛しの携帯を見つめた。
 彼の隠された性格を知ってしまった今、昨日までとは姿形が変わって見える。
 ちょっと肥満して見える。
 この際だ。かくなる上は、徹底的にこいつの深層心理を暴いてやろう。
 と思ったところで、ぶつっ、と電源が切れた。
 バッテリー切れ。あるいは、逃亡。

 続きはまた次回だ、ヘンダーソン!
【2007/08/29 02:40】 | 月の砂漠 | トラックバック(0) | コメント(0)
夏休み
今日のテーマ「夏休み」


「夏休みになったら・・・」

 そんな約束を誰かとした思い出は、多くの人にあることだと思う。
「夏休みになったら、また旅行しようね」
 GW直後の両親との約束。
「夏休みになったら、みんなで再会しようね」
 桜のつぼむ卒業式で、別々の道を行くクラスメイトたちと交わした約束。
「夏休みになったら、遊びにいらっしゃい」
 離れて暮らす、祖父母との約束。

 果たせた約束、果たせなかった約束。
 様々あれど、夏休みには何となく、約束が似合う。

 ぼくもまた、今年の春だったろうか、小学校時代から親交の続く友人と、約束を交わしていた。

「夏休みになったら、映画観に行こうな」
「ああ、ちょうどやってるもんな」
「仮面ライダー」

 と言うわけで、観て来た。
 仮面ライダー電王を。
 倒置法。



 今のライダー面白いよ〜、という話を、どういうわけか最近、多くの人から耳にする。ここ何年かはライダーシリーズにほとんど注目していなかったが、ふむふむ、そんなに面白いと言うなら、実際に観に行ってみるか、と思った次第である。

 ライダーものと言えば、かつては勧善懲悪と相場が決まっていた。主人公ライダーは、作品によって、それぞれの悩みや葛藤を抱えていることもあるが、基本的に善と悪ははっきり区別されていたものである。少なくとも、ぼくの幼少時代の記憶の限りでは、ライダーはそうだった。
 ところが、ある時期から、ライダーはそうではなくなった。哲学的なテーマなども盛り込みつつ、ある意味では「大人の」作風に変わったのである。

 先日、小学六年生の男の子と話す機会があった。彼は、重松清だったか椎名誠だったかのエッセイを読んでいた。作家自身である父と、その息子との交流を描いた話である。
 男の子がふと、ぼくに尋ねて来た。
「これ、どういう意味?」
 本を覗き込むと、それは、父と子が“怪獣ごっこ”をしているシーンだった。作家は、
「遊んでいるとついつい本気になって来る。と言っても、自分はあくまでも怪獣、息子はヒーローである」
 と言った趣旨のことを書いていた。

 はて、これのどこがわからないのか?
 要するに、お父さんはいつも子どもに負けてあげるという、ただそれだけのことではないか。ぼくも自分の昔を振り返ってみれば、なるほど、父を何度も屈服させた記憶がある。
 が、ぼくがそう説明しても、男の子はきょとんとしている。現代っ子の読解力はここまで落ちているのかと、ぼくは暗澹たる気持ちになった。

「いいか、怪獣は負けるもんだ。正義は必ず勝つんだ」
「でも」
「でも?」
「ライダーとか、負けることあるよ」

 それでぼくはアッと思い出したのだ。そうだった。近頃のライダーやウルトラマンは、悪役に負けることもあるのだ。そればかりか、怪獣=悪、という構図自体に疑問を投げ掛けるような作品もある。
 ヒーローの時代に伴う変遷は、有名作家の息子を思う表現技法さえも通用させなくしてしまうのである。



 それはともかく、仮面ライダー電王である。
 周りを大勢の少年少女(+その保護者)に囲まれながら、ぼくと友人、二人の青年男子は、堂々と館内ほぼ中央のシートに陣取って、鑑賞した。

 感想を言うと、これがなかなか面白かった。
 いや、かなり面白かった。
 いわゆるネタバレになってしまうので詳しいストーリーには触れないが、ライダーかっこ良かった。
 ちょっぴりハードボイルドだった。臭い台詞がところどころに散りばめてあって、ぼく好みこの上なかった。
 特に、ライダーの決め台詞である、
「俺、参上!」
 にはシビれた。エゴイズム感に溢れるこの名乗り!
 実に興奮した。

 同時上映で、戦隊モノもやっていた。こちらは、ヒーローが世界征服を企む悪を倒すという、極めてわかりやすい設定とストーリーで、古き良き伝統美を感じさせたが、特筆すべきは、キャスティングであろう。悪役ゲストで出ていたのは、エロテロリストことインリンオブジョイトイ様である。
 お子様連れのお父様方へのサービスなのだろうか、作中でのインリン様は、不自然なまでに胸元を強調し、不必要なまでに太ももを露出し、挙句の果ては、グラビア誌でお馴染み、インリン様の代名詞とも言うべき「M字開脚」まで大胆にご披露なさっていた。
 実に興奮した。



 映画の帰路、友人とライダー論に花を咲かせながら、ぼんやりと、今度近しい人間と会ったとき、会うやいなや、
「俺、参上!」
 と言ったら相手はどう反応するか、考えてみた。
 
一人は、
「おおっ、それはライダーではないですかっ!」
 と、インド人もかくやとばかりにビックリしてくれることであろう。
 一人は、
「ふーん」
 何事もなく、右から左へ受け流すであろう。
 一人は、
「ぽふっ」
 有無を言わさずぼくを殴打するであろう。

 そんなことをシミュレーションしながら歩く、夏の夕暮。
 日中の気温が40度を越えた異常気象のせいか、あるいは、ライダーから与えられた興奮が収まっていないせいか、暑いことこの上なかった。
「秋、参上!」
 とは、まだまだいかないようである。

【2007/08/17 03:39】 | 月の砂漠 | トラックバック(0) | コメント(0)
KY
今日のテーマ「KY」

「KY」
 という言葉が、昨今、巷で流行っているようである。
 初めて聞いたときは、ぼくの友人・K藤氏のイニシャルか、と思ったが、さにあらず。
「空気が読めない」
 の略称だそうである。

 上手く空気を読めれば、それは“優しさ”となる。相手の立場や状況を慮った、目には見えぬさりげない優しさ。
 あのがばいばあちゃんも、
「人に優しくするときは、気付かれないようにするもんだ」
 と言っていた。至言である。
 一方、それが間違った方向に転じると、上司の意向を汲み取って不正な行動をし、それが発覚するや、その上司から「部下が勝手にやった」と斬り捨てられる、典型的な企業組織犯罪のとかげの尻尾になってしまう。
 どの場面で空気を読むべきか、まさしく、空気を読んで行動しなければならないのだろう。

 しかし、もともと日本では、空気を読む、という行為(?)は一つの文化であったと思う。
「言わぬが花」
「目は口ほどに物を言う」
 など、要するに、空気を読む、ことを主張したことわざは、数多くある。

 例えば、先日投票が行われた参議院選挙。
 安倍自民党が歴史的大敗を喫したわけだが、この結果も、有権者(特に都市部の無党派層)が、空気を読んだ、からこそではなかっただろうか。
 ここで政治的な話題をあれこれ論じるつもりはないが、選挙前、様々な問題もあって、新聞やテレビなどは自民バッシングを展開していた。このマスコミが作り上げた「空気」に、有権者は敏感に反応したのだろう。それだけが自民大敗の原因ではもちろんないが、その側面はあったと思う。

「今回は自民じゃねぇな」
「何か、自民に投票しづらいな」
 そんな声なき声が街に溢れていた気がしている。

 にも関わらず、KYなるフレーズが流行るということは、それだけ空気を読めなくなった日本人が多いということなのだろうか?
 かつては外国人から「日本人ははっきり物を言わないからよくわからない」と批判されていた内向体質も、その原点は、空気を読む特性にあったと思う。が、そうした批判は最近あまり聞かなくなった。日本人がグローバル化したからか、はたまた、単に空気を読まなくなっただけか。
 どちらがどうこうではなく、相互に関係があるのだろうとは推察するが、読者のみなさんはいかがお考えだろうか?



 ところで、空気が読めない、と言えば、先日、こんな体験をした。

 とあるファミレスでの1コマである。知人と会食中のことである。
 実は、このときぼくは、ある重大な悩みを抱えていた。その悩みは、自分一人の胸の内にしまっておくにはあまりにも肥大し過ぎていた。さりとて、誰かに相談して解決できる類いのものではない。でも、せめて誰かに聞いてほしい。いい機会だ、今日、この知人に聞いてもらおう。そう思って会食に臨んだ。

ぼく「あの、実はな」
知人「のど渇いた」
ぼく「あ、じゃあ珈琲でも」
知人「うん(呼び出しピンポンを押す)」
ぼく「実は、聞いてほしい話が」
知人「どうしたの、何か顔が恐いよ?」
ぼく「ああ、実は」
知人「おうっ、ごめん、メール来た」
ぼく「あ、ああ」
知人「(メール見ながら)それで、どうした?」
ぼく「実は、つい先日」
知人「うわー、やばい、即返信しなきゃっ!」
ぼく「え?」
知人「ちょっと待って、メール打っちゃう」

 あああああ、もうっ!
 人の話の腰を折りまくりやがってぇ!
 なるほど、世間ではこういう奴を、KY、というのか。

知人「・・・送信と。はいごめんね、それで?」
ぼく「うん。いや、たいした話じゃないんだが」
知人「あ、ならいいや」
ぼく「いや違う、結構たいした話なんだ」
知人「一体何?」
ぼく「実は、つい先日、我が家に」
店員「お待たせしましたー、ご注文は?」

 あああああ、もうっ!
 店員っ!
 お願いながら空気を読んでってばっ!

知人「さて、それで?」
ぼく「いや、たいしたことじゃ」
知人「じゃあ別にい」
ぼく「たいしたことです、聞いて下さい」
知人「早く言いなよ」
ぼく「実は・・・」

 ぼくは、悩みを打ち明けた。

ぼく「先日、我が家の台所で、ゴキ○リを見たんだ!」
知人「・・・」
ぼく「アレは間違いなくゴキブ○だった、しかも、かなり大きかった。俺の足元をさささーっと走り抜けた。そして冷蔵庫の裏側に去って行った。居るんだよ、我が家には確実にゴ○ブリが居るんだよ。いつか戦う日が来る、だが、俺は不安なんだ、あんな強大な○キブリに、果たして勝てるのか、そうだ、出たんだよ、ゴ○ブリが、ゴキブ○がぁっ!」

 思わず声のトーンが上がっていた。
 知人は黙して語らない。ぼくの感じた恐怖、そして、抱いている不安に共鳴してくれたのか。

 ふと、知人だけでなく、周囲がやたら静かなことにぼくは気付いた。
カチャリとフォークを置く音が隣りの席から聞こえた。
 はて何かあったか。周囲の客も、店員も、沈黙して、かすかにこちらを見ている気が・・・

 あ。

 ここはファミレス。
 お客さんは皆、朗らかに食事を楽しむ場。
 そんな場所でゴキ○リの話。

 ぼくは事の重大さに気付き、知人のうつむき気味な顔を覗き見た。
 知人は、どんなに地球温暖化が進み南極の氷が全て溶けたとしてもここだけは大丈夫だろうと思しき永久凍土のような冷たい視線で、ぼくを睨んでいた。そしてつぶやいた。

知人「空気読めよ」

 はい・・・反省してます・・・

 知人はなおもつぶやいた。

知人「(小声で)○キブリってね」
ぼく「わ、わかってる、すまなかった」
知人「一匹いたら、三十匹いるよ」

 なお、この日からそう遠くない未来、ぼくはそのゴ○ブリと歴史に残る大激戦を繰り広げることになるのだが、それはまた別のお話である。
【2007/08/06 00:56】 | 月の砂漠 | トラックバック(0) | コメント(0)
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