今日のテーマ「異議ありっ!」
おう、俺だ。A島だ。 随分と久しぶりだが、まさか、俺のことを忘れちゃいねぇだろうな? そうだ。以前、何度かこのブログを、本来の筆者であるMMの代わりに書いてやったA島だよ。 俺が適当に書き殴ってやった文章は、普段のMMの駄文より数倍好評を得たと聞いている。MMの奴、以来、俺に代筆を頼むことをしなくなった。まったく器の小さい男だ。
そんな俺が、どうして久方ぶりに登場したかと言うと、それには深いわけがある。 いや、深い、と言うより、不快、と言うべきか。 このブログは、MMに頼まれたわけではなく、俺があいつの隙を突いて、勝手に更新したものだ。
これだけは書かねばなるまい。そう思ったゆえの所業だ。 書きたいときに、書きたいものを書く。 それが俺の生き様だ。
まぁ、そんな能書きはどうでもいい。 とりあえず、皆に聞いてもらおう。 まったく、あの日のことは、悪夢としか言いようがない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その日、俺は、とある電車に乗っていた。 とある、と意味ありげに書いてみたが、ここにそれほど意味はない。京浜東北線だ。 そんなことはどうでもいい。
とにかく、俺は電車に乗っていた。特に行く当てがあるわけではない。 しいて言えば、乗りたくなったから乗った。ただそれだけのことだ。それが俺の生き様だ。京浜東北線だ。 ときおり車窓の景色に目を向けながら、文庫本を読む。 俺にとって至福の時間だ。仕事で忙しい日々の骨休みに、そんな時間があってもいい。
しばらく、そんな至福の時間を過ごしていると、電車がどこかの小さな駅に止まり、一人の男が乗って来た。 俺は心の中で舌打ちした。 MMだ。 俺は自分の不幸を呪った。せっかくの休日に、どうしてMMと出会わなければならないのか。まったく今日は厄日だ。
ラクダ色のレザージャケットに妙な形のリュックを背負って、MMは車内をきょろきょろ見回している。大方、空いている席を探しているのだろう。相変わらずあさましい男だ。 車内は混雑しているというほどでもなかったが、座席は全て埋まっていた。俺は間違っても気付かれないように、視線を落とした。早く隣りの車両にでも行ってくれ。
ふいに、それまで俺の隣りに座って居眠りしていた中年の男が目を覚ました。 「あっ、しまった」 と小声でつぶやき、いそいそと電車を降りた。どうやら寝過ごしたようだ。
そのとき。 空いた俺の隣りを目掛けて、MMが猛然と突っ込んで来やがるではないか! MMは、普段からそれくらい動けよ、と言いたくなるほどのスピードで、俺の隣りを奪取した。 何という悲劇だ。貴重なプライベートタイムに、何が悲しくてMMと隣り合わせて座らなければならないのだ。これは何の罰ゲームだというのか。 MMは、そんな俺の苦悩を知るはずもなく、ふぅ、などと、安堵の溜息を吐いた。 そして。 俺を見た。 俺は目を逸らした。 MMは、なおも無遠慮に俺の顔を覗き込む。 俺はあらぬ方を向き続ける。 やがてMMは小首を傾げて、元に直った。
気付かなかったのか!?
俺は少なからず衝撃を受けた。鈍い男だとは知っていたが、まさかこんな至近距離で俺がわからないとは! と。 俺はここであることを思い出した。 ああ、そうだ。 俺は変装していたんだ。
俺は、色の濃いサングラスを掛け、カイゼル髭を付け髭して変装していた。 稀に動物的直感力を働かせるきのこあたりならいざ知らず、MMごときにこの変装を見破れるはずがない。MMがもしホームズだったら、ルパンはあまりの張り合いなさに泥棒稼業から足を洗ったかも知れない。
ん? どうして俺がそんな変装をしているのかだと? 知りたがり屋は怪我をする。とだけ答えておこう。 些細な疑問は回答するに値しない。
さて。 俺の隣りに腰を降ろしたMMは、何やらリュックをごそごそし始めた。中から取り出したのは・・・
任天堂DS。
やれやれ。うっかり改行までしてDSを強調しちまったが、よくよく考えればそんな大したことではない。 数日前に、MMがDSを買ったというのは、風の噂で知っていた。MMの身辺情報など、俺にダダ漏れである。 MMが、そのご自慢のDSの電源を入れる。
「ぴぽーん」
と大きな電子音がして、電源オンを教えてくれる。MMは慌ててボリュームをゼロにした。何と迷惑な男だろう。 一体こいつは何のゲームをやっているのか。俺はつまらない好奇心を起こし、DSの画面を覗き込んだ。MMが本体を持つ角度は、丁度俺の視界のベストポジションだ。ふふん、MMの脇の甘さはこんなところにも現れている。
画面上には、頭のつんつんした青年のキャラと、その青年に寄り添う少女のキャラが写っている。キャラ同士の会話らしきテキストから、青年は弁護士、少女はその助手だとわかる。
はて、これは何のゲームだ? 確か、比較的有名なゲームだったはずだ。俺は実際にプレイしたことはないが、雑誌か何かの宣伝で目にしている。 法廷で、主人公の弁護士が検事と対決して・・・ そんな内容だった。 そこまでわかっているのに、タイトルが思い出せない。 くそっ、俺も耄碌したもんだ。 知っていることを思い出せないと、無性に苛々する。煙草の一本でも吸えば記憶を呼び覚ませそうだが、あいにく車中だ。京浜東北線だ。 再び画面を見ると、シーンは殺人事件現場の検証だった。 MMはタッチペンを滑らせながら、事件解明の鍵になりそうなところをマークしようとするが、タッチペンの扱いがビックリするほど下手クソで、あらぬところをチェックしては「あっ」などと独り言を漏らしている。
このゲームのタイトル・・・ ああ、ここまで出掛かっているのに! 俺は何気なく車窓に目を向けた。考えが煮詰まったときは、一旦、何も考えなくするのが良い。 眼下には、河川敷が広がっていた。小さな草野球場で、小学生たちが白球を追い駆けている。川岸では、数人の釣人が思い思いに竿を垂らしている。 のどかだ。
ふいに、小高い土手の向こう側で、誰かが横断幕のようなものをバサっと広げた。 ほぉ、と思った。有名な映画のワンシーンみたいだ。 列車に乗って遠い町に旅立つ友に、ありがとう、だったか、また会おうね、だったか、そんな文字を記した横断幕を土手から広げる少女。車内でそれを見た少年は、車窓から身を乗り出して、涙と笑顔の入り混じった眩しい顔で少女に手を振る。 きっと、その映画に感銘を受けた、ちょっぴりいたずらっ子な小学生あたりが、それを真似して遊んでいるのだろう。 俺は横断幕の文字を見た。
「ぎゃくてんさいばん」
・・・? ぎゃくてんさいばん? 何だ、何を言っている? ぎゃく・・・ぎゃくてん・・・逆転・・・
逆転裁判!
それだ、MMがやっているゲームのタイトル、逆転裁判だ、間違いない、完全に思い出した、いや、教えられた! あいつは誰だ!? 俺は、すでに小さくなりかけている、横断幕の主を見た。
きのこだ。。。
電車は速度を変えずに走り続け、きのこは見えなくなった。
えーっと・・・ 突っ込みたいことはいっぱいあるが、今は気にしないことにする。俺は細かいことにこだわらない男だ。その点、MMとは人間の格が違う。
視線と思考をMMに戻す。 MMは、夢中で逆転裁判に、ふふん、やっと思い出したぜ、没頭している。 と。 MMの動きが止まった。 表情を盗み見ると、困惑が伺える。どうしたのか? 画面を見る。 シーンは、殺人現場で入手したらしい証拠品に犯人の指紋が残っていないかを調べるところだった。 台詞ウインドウを読んでみると、
『指紋採取の粉を、画面に向かって息を吹きかけて飛ばせ』
との指令が書かれていた。 なるほど、と思った。これが、家庭用固定ゲーム機にはないDSの特性の一つだ。タッチペンを使うところからもわかるように、DSの画面は圧力に反応する。画面に向かって息を吹きかけるという物理的な動作を関知できるということだ。
MMは困った顔のまま動かない。 俺は笑いを噛み殺した。 こいつ、迷ってやがるのか。 電車内で、つまり公衆の面前で、DSに向かってふーふー息を吹きかけるという行為に恥じらいを覚えてやがる。 先述したように、DSの画面は圧力を関知する。従って、実際に息を吹きかける必要など、実はない。指で画面をこすれば済むことなのだ。 だが。 MMは理科音痴だ。圧力、という言葉を知っているかすら疑わしい。いや、それは知っているか。いつもきのこに掛けられてるからな。だが、ここで言う圧力とはそういう意味ではない。
やがて、MMは、何かを決意した顔になった。 そうだろうな。いくらこいつでも、これだけ乗客がいる車内で痴態を演じることはしまい。ましてや京浜東北線だ。セーブして一旦プレイを中断することに決め
「ふー、ふー、ふー」
そんなバナナ! 吹きやがった。 DSの画面に向かって、ふーふーしやがった。 付近の乗客数人が、くすくす笑っている。MMの決意とは、こっちの道を選ぶことだったのか。 画面上に、犯人のものらしき指紋が浮かび上がった。 科学捜査官の笑顔が映し出される。 MMも同じくらい笑顔になっている。 俺は震えが止まらなかった。
俺は我に還った。 どうやら、しばらく気を失っていたらしい。 無理からぬことだ。あんなふーふー見せられては。 MMは、相変わらず一心不乱に逆転裁判をやっている。 どれくらい進んだのか。俺はまた画面を覗き見る。
ゲームは、法廷シーンに移っていた。 主人公の弁護士が、証人(実は真犯人のことが多い)の発言の矛盾を暴き、追い詰めて行く見せ場である。 ボタンを押すか、又はタッチペンを操作すると、 『異議ありっ』 と、主人公が叫ぶのである。
ふいに、またMMの動きが止まった。先程にも増して困惑顔を浮かべている。 今度は何が起きた? 画面の台詞ウィンドウを見ると、
『マイクに向かって、異議ありっ!と叫ぼう』
とある。 俺は唸った。これもDSの特性の一つだ。本体内蔵のマイクに向かって声を発することで、それが関知される。ファミコンのツーコン以来の画期的なアイデアである。
MMは額に汗を浮かべている。油汗だ。 まさか・・・まさかこいつ、やるつもりか!? だが、いくらMMと言えども、そこまではしまい。繰り返しになるが、公衆の面前なのだ。車内なのだ。息をふーふーまでは羞恥心を押し殺せても、マイクに向かって「異議ありっ!」は有り得ない。その行動にこそ「異議ありっ!」だ。
今度こそゲームを中断するか? それとも・・・いや・・・まさか・・・ と。 MMの顔付きが変わった。何かひらめいた顔だ。 その表情を見て、俺は察した。なるほど、どうやらMMめ、気付いたらしい。
説明するまでもないと思うが、マイクは、言葉そのものまではさすがに関知できない。 つまり、マイクに向かってはっきり「異議あり!」と叫ばなくても全然構わないのだ。例えば、息を吹きかければいい。 息ふーふーなら、すでにこいつはやっている。その一線は踏み越えてしまっている。MMはそれに気付き、マイクに向かって息ふーふーする決意を固めたのだろう。慣れとは恐い。
MMは、DSを口元に近付けた。 ふーふーか。本当に懲りない奴だぜこい
『・・・異議あり』
俺は腰を抜かさんばかりに仰天した。 言った。 異議を申し立てやがった! しかも、すっごい小声で。 何てこった。MMが“気付いた”のは、 「叫ばなくてもいいかも」 という点だったのだ。ってゆーか何でそこ?
正面の席に座っていた幼子が、 「ねーねー、あれなーにー」 MMを差して笑う。 「見ちゃだめよ」 母親がそれをたしなめる。正しい教育だ。
MMが辛そうな表情を浮かべる。 それはそうだ。さしものMMも、今、自分が置かれているあまりにも恥ずかしい状態に気付・・・ 違った。 画面を見てわかった。 シーンが進んでいない。 MMの、ぼそっとつぶやき異議あり作戦は失敗した。マイクはその声を拾ってくれなかった。MMはそこに辛さを感じていたのだ。ただの恥のかき損だ。 MMの顔付きが再び変わる。それは、何かを決意した者だけが見せる、どこが凛々しさすら感じさせるものだった。 やめろMM、引き返すなら今だ、今ならまだ間に合
「異議ありっ!」
間に合わなかった。 MMは明言した。 異議あり。 少しだけ悲しげな声で。 車両内のほとんどの乗客がこちらを見る。当然だ。こんなに堂々と異議を主張されたのだ。ある意味、MMの大逆転だ。 俺は画面を見る。 シーンが先に進んだ。 そして、MMもどこかへ進んだ。もう帰って来ないかも知れない。帰って来なければいいと思った。
しばらくして、MMは目的地に着いたようで、あっさりセーブして電源を切り、電車を降りて行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これが、思い出すのも恐ろしい、あの日の顛末だ。 俺は、いかにあのときのMMが恥ずかしかったかを本人にわからせるため、あえて、この事実の公表に踏み切る。
と。 ここまで書いたとき、メールを受信した。 MMだった。何だ一体? 文面を見る。たった一文だけ記されていた。
「ひげありっ!」
何だこれ? さっぱり意味がわからない。いたずらメールか。 ああ、そうか。異議ありっ、に凝ってしまったのか。そんなようなことを言いたくて仕方ないんだな。 ふぅ、やれやれだぜ。
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