今日のテーマ「世界を語る」
「カボベルデ」「コモロ」「セーシェル」「ブルンジ」
上記の四つの言葉を聞き、これらが何であるかをわかる人はなかなかいないだろう。 わかったあなたは、かなりの博学である。
では、ここに、
「シエラレオネ」「マラウイ」「ガンビア」「レソト」
の四つを加えたらどうだろう。これでもまだまだ難しいが、あ、もしかして、と気付かれる人も出て来たと思う。
さらに、
「ナミビア」「セネガル」「マリ」「エチオピア」
といった名前が出れば、かなりの人がこれらの“共通項”に思い至るはずである。サッカー、マラソン、バレーなどの分野でお馴染みである。
最後のヒント。
「南アフリカ共和国」「中央アフリカ」「エジプト」
ここまで言ってもわからない人は、きっと、素直な心を忘れているのであろう。
おわかりの通り、これまで列挙してきたのは、 『アフリカ大陸の国々』 である。
「21世紀はアフリカの世紀」 ということがよく言われる。 それを実証するかのように、昨今、アフリカがクローズアップされているように思う。
先日、日本で開かれた国際会議では、我らが福田首相が、来日していたアフリカ各国の首脳と、一国当たり15分、次から次へと、柔道の乱取り稽古のように、会談を行っていた。 わずか15分の会談でどんな話し合いが出来るのか、むしろ各国首脳に失礼ではないのか、という気がしないでもないが、そういう批判を覚悟で、一連の会議に臨みたかった、というのが日本側の事情でもあるだろう。
では、アフリカの何が注目されているのか? 新聞報道などに常日頃から接している人はご承知だろうが、広大なアフリカ大陸に眠る“資源”なのである。 石油は言うに及ばず、今、より注目されているのは “レアメタル” である。
「コバルト」「ニッケル」「ダイヤモンド」 世界のどこでも取れるわけでもない、これら希少金属が、アフリカの大地には大量に眠っている。 携帯電話の部品にも“レアメタル”が使われている昨今、日本のような資源小国には、その輸入ルートを確保しておくことが必要不可欠、ということなのだ。原材料がなければ、加工製品は一切作れない。当たり前の話だが、忘れられがちな大事な話である。
もちろん、アフリカのこうした面に注目しているのは日本だけのはずもなく、欧米から中国、ロシアまで、皆、考えることは同じである。 日本は「その波に乗り遅れるな」とばかり、アフリカとの友好親善を進めていく構えだが、乗り遅れるなと思った時点で、実際はちょっと乗り遅れている。 しかし、とにもかくにも、経済大国はどこも、アフリカの大地に眠る“お宝”を虎視眈々と狙っているのである。
だが。 ここでちょっと考えてみたい。 それで本当に、 「21世紀はアフリカの世紀」 と言えるのか。 アフリカを巡って先進国が外交駆け引きを巡らせるなら、それはやっぱり「先進国の世紀」ではないのか。
アフリカの歴史は、先進国からの抑圧の歴史である。 古くは奴隷貿易、20世紀には帝国列強の植民地支配。 アフリカの国境線に綺麗な直線が多いのは、欧米諸国が、 「ここからここまでは俺たちの領地ね」 とばかりに、緯度と経度で機械的に支配領域を決めたからだというのは、有名な話である。
帝国列強が、エネルギー資源や独占的な市場を求めて、アフリカを欲していた、二度の世界大戦の時代。 経済大国が“レアメタル”の安定供給源を求めて、アフリカを欲する現在。
その構図は、非常によく似ている。 大国のエゴが繰り返される歴史の皮肉を感じてしまう。 そして、エゴとエゴのぶつかり合いの果てに待っているのは悲惨な歴史の模倣でしかない。
21世紀がアフリカの世紀、という見立ては、アフリカが注目され続けているという点で確かに正しい。 だが、本当の意味でのアフリカの世紀とは、こうした現状を見る限りまだ遠いと思わざるを得ない。
アフリカでは、経済発展途上国なるがゆえの、貧困・疫病・人権蹂躙など「負の側面」が多々ある。 そうした面が、国際協力の下で改善され、アフリカが、軍事力や経済力ではない価値観の元で先進諸国と真に伍することが出来たとき、アフリカ(特にアフリカ先住民)の持つ、例えば自然との共生や環境への対応など、経済後進国なるがゆえの、逆に「良い側面」=エコロジカルな側面が、21世紀の新しい“文明”としてクローズアップされるのではないか。 そのときこそが、正真正銘、アフリカの世紀なのだろう。
エゴからエコへ、と言ったら理想主義に過ぎるかも知れないが、それでも、そんな世の中が作られることを期待してしまう今日この頃である。
なお、6月18日(水)に公開される、劇団「月の砂漠」の新作【奥様は女神】は、このブログの内容とは全然何の関係もない。
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