今日のテーマ「眼鏡を尋ねて三千里 最終回」
(前回までのあらすじ) 連載開始当初に寄せられていた、 「続きを早く読みたいですっ!」 という数通の応援メールは、今では、 「早く決着させろ」 「連載の途中で違うネタ挟むな」 という怒号に変わった。 私は、なにくそ俺より巨人の二岡の方がよほど怒号を浴びていることだろう、と自分を奮い立たせ、あと20回くらい続けるつもりだったこの連載を終わらせる決意をしたのだった。
初めてこのブログを読むあなたは、ぜひ既出の前編〜後編をお先にどうぞ。騙されたと思って。 全て読み終えたとき、きっと、 「騙された!」 と思うはずである。
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私は、それなりに馴染みある名前のチェーン店に入った。 ごくごく平均的な眼鏡屋を思わせる店内。高級眼鏡がカウンターに近いショーケースに飾られ、その他は陳列台にずらりと並べられている。 「いらっしゃいませ」 店長と思しき中年女性が、落ち着いた声で挨拶する。 長めの昼休みも、だいぶ残り時間が少なくなって来た。ここで片を付けなければならない。 私は壊れた眼鏡を取り出し、店長(推定)に見せた。
「あー、これ、厳しいですね」 店長(推定)は微笑を携えつつ、まことに朗らかに言った。 「な、直りませんか?」 「ぽっきり折れてるんで、工場に持って行かないと」 「どれくらいの時間がかかります?」 「一週間くらい」 私は天を仰いだ。眼鏡なしで一週間はきつい。 「それに、修理代もこれくらいは・・・」 店長(推定)は手元の電卓をまことに軽やかに叩き、数字を私に見せた。それは、私が漠然と考えていた修理代金の、ほぼ三倍に当たるお値段だった。
「ど、どうしたもんでしょうか?」 私は雨に打たれた子犬の目で、店長(推定)に訴えた。眼鏡屋の決まりなのだろうか、店長(推定)も眼鏡を掛けている。同じ眼鏡っ子同士、わかり合える何かが産まれやしないかと、私は意味不明な期待を込めた。
「いっそ、新品をお買い上げになっては?」 店長(推定)は、まことに簡潔に言ってのけた。 新品を買う・・・? 私の体内を電流が走り抜けた。 そうか、その手があったか! 不覚にも私は、もっともシンプルにして確実な手段に思いを致さなかった。そうか。買う、という奥の手が、私には残されていたのだ。
「でも、高いんでしょう?」 私はおずおずと尋ねた。 「御心配なくっ!」 店長(推定)は手元の電卓をまことに鮮やかに叩き数字を私に見せた。 そのお見積もりは、私の漠然とした想像の、約半分だった。
「かかか、買いますっ、眼鏡買いますっ」 私は店長(推定)の腕を掴まんばかりの勢いで言った。 しかし、言いながら、二つの困難を考えていた。 私の眼鏡のレンズは、かなりの細身である。そのレンズの型に合うフレームがあるかどうか。私は尋ねた。
「確かに、この型は数が少ないです」 「では、レンズを削りますか?」 フレームに合うようにレンズ自体を修正する場合、レンズの焦点に微妙な狂いが生じる。通常の近眼用眼鏡であれば大勢に影響はないが、私のそれは乱視入りでもある。度の合わない眼鏡を掛けるのは、見えづらいよりもっと苦しい。
「ですから、レンズごとお買い上げいただきます」 「でも、僕のレンズは乱視もかなり入っていて」 「その乱視レベルでしたら、レンズの在庫が御座います」
問題は一気に解決した。 レンズとフレーム込みで先程の値段だと言う。ならば、迷う必要はない。問題はあと一点。
「あの、出来上がりまでどれくらいの時間が?」 午後の仕事開始時間は刻々と迫っていた。 「大急ぎで作って・・・三十分」
問題はたわいなく解決した。 私は即金でお代を支払い、町で時間を潰すために、一旦店内を去った。
店を出た私は気分爽快だった。朝から見舞われた悲劇にようやくピリオドが打たれようとしていた。心軽やかに店の裏手、普段は通らない道に入ると、コーヒーチェーン店があった。こんなところに、私の好きなチェーン店。些細なことだが、私は何だか幸せだった。
店内に入り、カウンターでコーヒーを注文する。 「百円になります」 無料のスマイルで女子店員が言う。 「百円? 安いな」 「本日、開店一周年記念でして」
店内を見回すと、確かに、コーヒー百円、と書いたチラシが大量に貼ってあった。 ツイてる。にんまりした。
コーヒーを持って喫煙席に座り、読みかけの文庫本を取り出しながら、穏やかな時を過ごす。 隣りに座っていたのは、私のタイプの女子だった。 ツイてる。ニタニタした。
ふふふ、この手の女子は、男子が文庫本を読みながら、眼鏡を中指で押し上げる仕種に弱いと聞く。夕刊フジに書いてあったから、そうとう精度の高い情報であろう。 私は、その女子がちらりとこちらを見たその一瞬を逃さず、最高の角度で眼鏡をくいっと、 眼鏡がなかった。 私の中指は、私の眉間を突いただけだった。ああ忘れてた、眼鏡掛けてなかったんだ・・・ そんな愚かしい自分がたまらなく愛しかった。
眼鏡屋に戻ると、すでに私のニュー眼鏡は完成していた。後に知人から、 「以前の眼鏡より雰囲気が若くなった」 と言われることになる、モダンな眼鏡である。 ニュー眼鏡を装着する。 ぼやけていた視界に、秩序が戻る。はっきりと見えた店長(推定)が案外私の好みだったことに気付き、私は慌てて中指で眼鏡を押し上げた。
旧友のTと再会した。 コーヒーが百円だった。 ニュー眼鏡を安く手に入れた。
何だか、今日はやたらツイテる一日だった気がした。
近視と乱視を矯正した、レンズ越しの世界がぼやけたとき、私にとっての小さな非日常は始まっていたのかも知れない。 これからは、私はふと思った。 たまには眼鏡を外して、町を歩いてみよう。
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