初めまして。劇団「月の砂漠」設立準備委員会、代表のまことです。 このブログでは、ぼくが日頃思っていることや体験したことなどを、徒然なるままに綴っていきます。 お時間のある方は、気軽にお読み下さい。
今日のテーマ『言葉、ことば、コトバ』 言葉の「字面(じづら)」というものは、文章の内容以上に重要さを持つことがある、とぼくは思う。 先日、友人と食事の約束をしていたときのこと。 ぼくは不覚にも電車を一本乗り過ごし、待ち合わせ時間に10分ほど遅刻してしまうことが確定的となっていた。 そこで、その相手に「ゴメン遅刻しそう」と伝えたところ、それに対しての返信は以下のようなものだった。
『えー、ホントにー (>_<) はやく来いよ♪ バーカ☆』
ぼくはその文面を読んで、とてもホッとした。幼稚な文章と言ってしまえばそれまでだが、送り手の優しさと気遣いを感じられる文章だと思った。 もし、このメールが、
『え、本当に? 早く来いよ、馬鹿』
だったら、ぼくは真っ青になって電車の中を走ってしまうところだった。 上の二つの文章は、言葉としてはまったく同じだが、字面が違うだけで(このケースでは顔文字という特殊言語も含むが)相手に伝わるニュアンスは大きく違う。これは実に面白い。 例えば、世界的に活躍する日本人の名前表記を、わざと英語(ローマ字?)にするのも、字面が与えるニュアンスの問題だろう。 先日引退したサッカーの中田英寿が好例で、彼はしばしば、 『世界のNAKATA』と書かれていた。
あるいは『サムライ』という言葉だが、『侍』と漢字で書けば、ザ・武士道な意味合いを持ち、『SAMURAI』と英語で書けば、ちょっとアメリカ人に「おー、ハラキリー」と小馬鹿にされている印象になる。
さらに、含み笑みをするときの表現『にやり』だが、こうして平仮名で書くと、ちょっとニヒルなイメージとなり、『ニヤリ』とカタカナで書けば、とってもイケないことを想像している態になる、ような気がする。 表記の違いによって、イメージはこんなにも変わる。 そこで、こんな実験をしてみる。 普段「カタカナ」で書かれる言葉を、「ひらがな」に替えるのである。
【にゅーよーくやんきーす】 ・・・ちっとも強そうじゃない。きっと松井秀樹はいない。
【ほわいとはうす】 ・・・まるで場末の健康ランドだ。きっと大統領はいない。
【べるりんの壁】 ・・・何だか楽しそうな壁になった。べーるりん♪
【しべりあ超特急】 ・・・絶対に遅い。って言うか止まる。 今度は、普段「ひらがな」で書かれる言葉を、「カタカナ」に替える。
【オニギリ】 ・・・これは固い。食べごたえ充分。満腹になる。
【ホノボノ】 ・・・アケボノ?
【サヌキウドン】 ・・・新型の長距離弾道ミサイルだ。ノドン、テポドン、サヌキウドン。
【オバアチャンノチエブクロ】 ・・・中を見てはいけない。見たら大変なことになる。早く逃げて! 実験終了。きりがないので、この辺で止める。 言葉の持つ力が、文章そのものだけでなく、字面にも含まれるということを理解してもらえただろうか? みなさんもぜひ考えてみて下さい。 そして一人でニヤリとしてみて下さい。
と、こんな感じで展開されるこのコーナー。不定期連載。 よろしければ次回も御一読を。
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