今日のテーマ『愛しき我が文庫本』
ぼくの趣味の一つに、本棚の整理がある。 月に一度は、所有の本をすべて出しては片付け、片付けては出してを繰り返し、丸々一日をその作業に費やす。 言ってみれば、個人的な“棚卸し”である。
ところで、数年前から使用しているマイ本棚は、奥行きが文庫本サイズで3列(手前・真ん中・奥)に収納できる構造になっている。 ガラス越しにすぐ目に付き、取り出しも容易な1列目。 ここには当然、何度も読み返すようなお気に入りが陳列されている。 ぼくは彼らを『メジャー』と呼んでいる。
その一列目を少しずらせば覗ける2列目には、かつて大好きだったが最近は食傷気味になってしまった作家の小説や、学校の授業などを通して出会った文豪たちの作品が並ぶ。 彼らは『マイナー』と称される。
3列目となると、これは取り出すのにも一苦労で、ぼくの記憶の中からもほとんど忘れ去られている。 彼らが『ファーム』である。
月に一度の本棚整理は、言ってみれば彼らの入れ替え戦なのである。
例えば、ドラマや映画で面白い時代劇を見たときは、普段は『マイナー』暮らしの山岡壮八を『メジャー』に臨時召集する。 また、どうにも憂鬱な気分のときは、やはり『マイナー』が定位置のドストエフスキーを緊急昇格させたりする。
しかし、収納スペースには限界がある。 新しい本を買えば、その数だけ本棚からオサラバする者が出る。 また、新規に購入したものの、保存価値無しと思える奴もたまに現れる。
ぼくは、彼らを断腸の思いで古本屋に売り払う。 言わば『金銭トレード』である。
場合によっては、本好きの友人に、返却されないことを前提に貸し出す。 つまり『無償トレード』である。 ぼくにとっての辻仁成は、ダイエー→巨人の小久保と変わらない。 (・・・ちと話題が古いか) ところが、そうした手段を模索したにも関わらず、古本屋の古ぼけたオヤジから「これはイラないよ」と苦笑いで買い取りを拒否されたり、友人から「俺の家は倉庫かよっ!」と三村風ツッコミで突き返される可愛そうな本も出てくる。 背に腹は替えられない。 ぼくは彼らに『戦力外通告』を下し、燃えるゴミとして処分する。 さうなら、赤川次郎。
ところで、つい先日、久しぶりに宮部みゆきが読みたくなり、少し前に出版されていた一冊を買ってきた。買ってきたまま、ダイニングのテーブルに放置していた。 夜になって、さて布団の中で読もうかと思ったところ、宮部がいない。 はてどこに行ったかと探していたら、母が何喰わぬ顔で読んでいた。 ぼく 「ちょっと、勝手に持って行くなよ」 母 「だって、私が読みたかったやつだから」 ぼく 「あとで貸すから、先に読ませろって」 宮部(母の下手な腹話術)「おかんに先に読まれたい」
・・・まさか宮部に『FA宣言』されるとは思わなかった。
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