勇敢なる一歩
今日のテーマ『勇敢なる一歩 』

『やってみなけりゃ わからない!』

 誰が言ったか忘れたが、ぼくの好きな格言の一つである。
 漠然と「だいたい、こんなもんだろうなぁ」と想像していた未知の世界は、実際にそれを体験してみると、想像とはまったく違っていることが、多々ある。

 もちろん、想像通り、という事柄もなくはない。行列のできるコロッケ屋なんかは、十中八九、だいたい想像していたレベルの味だったりする。
 それでも、何事も体験してみることは悪いことではない、と思う。


 先日、仕事上のちょっとした雑用で、山手線沿線の中堅都市を訪れたときのことである。
 その雑用自体は短時間で終了し、ぼくには、次の予定までしばしの暇があった。職場にさっさと戻って、新しい厄介な雑務を任されるのも面倒臭い。ぼくは、小学生のとき以来下車したその街を、プラプラと散歩して過ごすことにした。朝方に降っていた雨は止み、雲間からはわずかに太陽が顔を覗かせている、気持ちの良い午後だった。

 ぼくはサラリーマンではないが、こんなとき、得意先周りをサボって喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいる営業マンの気持ちが少しだけ理解できたりする。
 息抜き、息抜き。
 いっちょまえにそんなことを思ってみたりしながら、学生と買い物袋を下げた主婦とギターケースを担いだ路上ミュージシャンたちで賑わう駅前のメインストリートを、ただ歩いて歩いて歩いてた。

 さて、ぼちぼち喫茶店にでも入って、本を読みつつ煙草をくわえ、アメリカンコーヒーでも飲もうかな、と思ったところで、ふと、鞄の中に本が入っていないことに気が付いた。どうやら、昨晩の就寝前、布団の中で読んでいた「傑作上方落語全集/桂米朝・編」を、そのまま枕下に置いてきてしまったらしい。
 何も読むものがないと、どうにも一人で一服する気になれない。駅前まで戻って、キヨスクでスポーツ新聞か週刊誌でも買おうかしらと考えていたら、ぼくの目の前に、ある看板が飛び込んで来た。

『お一人様30分・90円で歌い放題/ワンドリンク付き』

 カラオケ店である。全国チェーンの有名カラオケ店である。

 ぼくは、常日頃から「趣味:カラオケ」と公言してはばからないカラオケ大好きっ子さんだが、生まれてこの方、一度も、一人きりでカラオケに行ったことがない。
 カラオケボックスとは、近しい友人数人と歌半分・トーク半分でダラダラ過ごす安穏の空間、または、宴席の二次会で「なんかもうスゴく酔っ払っちゃったから普段は恥ずかしくて歌わないようなラブソングとかも今日は歌っちゃうよいえい」的な面子と訪れる狂乱の空間、という、まことに身勝手な固定観念をぼくは持っている。一人きりでカラオケに行き、聴衆が誰もいないのに熱唱するなど、シャイなぼくにはとてもとても、と思っていた。

 しかしながら、とあるエンタ系週刊誌の情報によれば、ここ最近、一人でカラオケボックスに行く人は増えているようである。

 例えば、カラオケ店のランチサービスなどは、安価な上に味もそこそこである。いわゆる「ワンコイン亭主」(※一日の昼食代を500円以内に制限している中高年サラリーマンのこと)の中には、バーガーショップや牛丼屋よりも、カラオケ店のピラフやオムライスを愛食している方もいるという。
 また、ノートパソコン片手に大都心を駆け回るビジネスマンの中には、携帯電話を使って重要なデータ処理作業をする際、誰にも画面を覗かれる恐れがないとの理由で、カラオケ店の個室を利用する人も少なくないという。
 いずれの例も受け売りの話なので、信憑性の確かさまではわからないが、とにかく、そういうことなんだそうである。

 ぼくは、演劇仲間の一人のとある女性が、以前 話していたことを思い出した。
『仕事の休憩時間が約一時間ある。昼食のお弁当を10分くらいで食べ終えて、残りの時間は、職場近くのカラオケ店に一人で行って、30分くらい歌いまくってる。ストレス発散』

 ぼくはこの話を聞いたとき、彼女の勇気(?)をうらやましく思ったものである。と同時に、自分自身を恥じたのである。
『ぼくは・・・ぼくは・・・・カラオケが趣味です、なんて堂々と宣言していながら、一人でカラオケボックスに入ることもできないほど弱虫さんだったのか! そんなことで、ぼくは本当にカラオケを愛していると言えるのだろうか? カラオケ好きを名乗っても良いのだろうか? もしかしたら、ぼくはナンチャッテ・カラオケ好きの、最低な男ではないのか?』

 たかがカラオケでそんなに卑屈になるなよ、という、もう一人の自分の冷静な突っ込みを無視して、ぼくは商店街のド真中で慟哭した。
 たかがカラオケ。されどカラオケ。
 ぼくは、やっぱりカラオケが好きだ。今ここで『一人カラオケ』を体験しておかなければ、もう劇団の後輩の「マコさんって歌ウマイっすよねぇ」というお世辞を真に受けて「いやいや、そんなことあるよ。まぁ、俺にとってカラオケってやつは・・・戦場?」なんて答えることができなくなってしまう。そんな強迫観念にとらわれたら、もうぼくの気持ちは一つである。

 そのとき、間違いなく、ぼくは世界の中心でカラオケへの愛を叫んでいた。
 そして、ぼくを意を決して足を踏み出した。
 爽やかな笑顔のバイトお兄さんが待ち構える、受付へ向かって!



「いらっしゃいませー」
 自動ドアが開いた途端、店員さんの朗らかな挨拶に迎えられた。接客業だから、その挨拶は当然のことなのだが、ぼくは思わず体がピクリと反応してしまった。実に情けない話だが、どうやら、ぼくは非情に緊張しているらしい。

「何名様ですか?」
 笑顔でぼくに応対する店員さん。やや茶色がかった短髪。ぼくより明らかに年下と思しき健康的な男子。顔も腕もこんがりと日焼けしている。サーファーかな? と、ぼくはまったくどうでも良いことを思った。

ぼく 「えっと・・・一人です」
店員 「え? お一人ですか?」

 ああ、逃げたい。この場から走って逃げ出したい。
 背筋を冷たい汗がつたう。なぜだ? なぜこのサーファー店員は、ぼくが一人で入店したことを怪しむ? ・・・嘘なのか? ぼくが読んだエンタ系週刊誌に書いてあった「一人カラオケが流行っている」という記事は真っ赤な嘘だったのか? ぼくは、メディアに踊らされちまったのか?
 被害妄想の嵐をかろうじて乗り越え、ぼくは店員と向き合う。

ぼく「あの・・・この店って、後から人が来たときに、人数の追加とか時間
  の延長とかできますか?」
店員「はぁ・・・できますけど」

 何てことだろう。ぼくは、まったく吐く必要のない嘘を吐いてしまった。さも、これからぼくの友だちが来ますよ、ぼくは待ち合わせの時間にちょっと早く着いたので、とりあえず先に店内に入って手続きを済ませているんですよ、という、幹事っぽい自分を演出してしまった。
 店員さんは、そんなぼくに対して、熱心に店の料金システムについて説明を続けている。人数追加の場合は、その方が入店されてからの料金分だけでいいですよ、時間延長は、予約が入っていない時間帯に限って何時間でもできますよ、など、それはそれは熱心に説明してくれた。

 ああ、ぼくはこの善良な店員を騙している。ちょっぴりチャラ目な外見とは裏腹、こんなにも仕事熱心なこの店員を、騙している。
 罪・悪・感。

店員「・・・というシステムですが、よろしいですか?」
ぼく「え? あ、はい。それで結構です」
店員「では、とりあえず、お一人様でよろしいですね」

 だから、一人って強調しないでくれ! こっちはちっぽけな勇気振り絞って必死なんだから、一人って言わないでくれ!

ぼく「はい・・・とりあえず、とりあえず、一人で」

 ワンドリンクでウーロン茶を注文し、前払いで90円を払う。全然関係ないけど、確かに90円は破格である。
 受付名簿に、いつもの悪い癖で偽名を記し(ちなみに、この日はアイジマと記した) 通信用リモコンを受け取る。ようやく、少し落ち着いて来た。個室に入ってしまえば、こっちのものである。受付という最大の難関を突破すれば、もう怖いものはない。

店員「(厨房に向かって)ウーロン茶、1つ入りまーす」
店員B「え? 1つですか?」

 ぼくは小走りで指定の個室に向かった。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆ 

 さて、何とか個室まで辿り着いたぼくは、気を落ち着かせるため、とりあえず煙草に火を着けた。
 考えてみれば、別にオドオドする必要など何もない。一人だろうが大勢だろうが、店にとってみれば客は客である。罪を犯しているわけでもないのだから、堂々としていればいい。

 そう気を取り直すと、不思議なもので、今度は次第に高揚感が沸いてくる。先程までの無意味な背徳感が、何だかスイッチが切り替わってプラスに転じたようである。
 と言うより、これだけ大変な思いをしてカラオケに来たのだから、一曲でも多く歌って帰らなければ損だ。ぼくはリモコンを手に取り、最近覚えたばかりの、黒夢『少年』を入力した。

 ろけんろーるな前奏が狭い個室内に響き、ぼくのテンションは瞬間的にマックスに到達した。マイクを握り締めるぼくは、完全に自分に泥酔である。
(ここはカラオケボックスじゃない。そうだ・・・ここは武道館だ! または東京ドームだ。俺はいま、ロックスターだぁ!)
 Aメロを歌い、Bメロを歌い、サビに差し掛かる頃には、思わずソファーから立ち上がり、拍手もタンバリンもないのに、ノリノリで熱唱していた。

ぼく「♪そーおー、たーしかにドアがひらいーたー」
店員「(ドアを開けて)ウーロン茶、お待たせしましたー」

 開いた。そう、確かにドアが開いた。
 ぼくは反射的にソファーに座って、歌を中断した。この状況で、歌い続けられる程、ぼくは図太い神経をしていない。

店員「こ、こちら・・・ウーロン茶になります・・・ぷっ」

 笑ってる。笑ってるよ。店員さんが笑ってるよ。昼下がりに一人でカラオケに来て、黒夢熱唱のぼくを見て笑ってるよ。
 店員が個室から去りかけたとき、曲が終わった。その瞬間、室内に、機械音で「ワーッ!」という歓声と大拍手が鳴り響いた。こともあろうに、前の客が設定したらしい「歌い終わりに歓声&拍手機能」が、そのままになっていたのだ。

ぼく「違いますよ! これはぼくが設定したんじゃなくて・・・」
店員「ごゆっくりどうぞ・・・ぷぷっ (去る)」
機械「ワーッ! パチパチパチ・・・ワーッ! パチパチパチ・・・」

 黒夢が、とんだ悪夢になってしまった。

 しかし、人間とは強い生き物である。ここまで来ると、もう完全に怖いものなんてなくなった。
 どうせ、この街はそれほど訪れる機会のない街。ならば、旅の恥は掻き捨て気分で、とことん一人で熱唱してやる。ザ・開き直り。
 マッチやらジュリーやら中島みゆきやらを立て続けに何曲か歌っていたら、30分が過ぎていた。至福の時間?

 いまだかつて経験したことのない摩訶不思議なテンションのまま、ぼくは個室を出た。通信用リモコンを返しに再び受付に向かうと、そこには背広姿の中年男性がいた。

中年「一人。一時間。ワンドリンクはオレンジジュースで」
店員「は、はい。かしこまりました」

 ぼくは、その中年に「師匠と呼んでいいですか?」と声を掛けそうになったが、さすがにそれは控えておいた。

 外に出ると、太陽が完全に姿を現していた。夏の気配を感じながら、ぼくは自分が一回り成長したような錯覚を覚えつつ、口笛を吹きながらJRの駅へと向かった。
 さて、仕事仕事っと。




【2006/07/22 01:00】 | 月の砂漠 | トラックバック(0) | コメント(3)
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コメント
うけた(笑)
私・・・・カラオケスナックのママの娘ですw
今度みんなで行きましょうね(笑)
【2006/07/21 10:52】 URL | ひずる #XVgCdbeE[ 編集]
月の砂漠のHP経由で来ましたぁ〜
現カラオケ店員の自分から言わせてもらうと
笑われると思ってるのは接客スマイルですよぉ〜
本当に一人で来る人も多いので気にすることないですよ。
自分も一人カラオケしますよ。
みんなの前で歌えないアニメソングを歌ったりして…
これからも何度も挑戦すべきです(笑)
【2006/07/23 15:17】 URL | フクフク #-[ 編集]
こんにちは^^砂漠経由で、やってきました!
一人カラオケだけは、まだ無い私。

他は色々したけどね(*≧m≦*)
これからは、もう、師匠と呼んでいかしら!?w
【2006/07/27 23:40】 URL | しおり #-[ 編集]
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