今日のテーマ『青春の1コマ 前編』
生まれて初めて買った音楽CD(あるいはカセットテープ、もしくはLPレコード)を覚えているだろうか?
ぼくの経験から言うと、この質問に対して「忘れた」と答える人は少ない。多くの人は、目を輝かせながら、自分の幼い頃の思い出と共に語ってくれるものである。
ちなみに、ぼくの場合は、 『キン肉マン〜キャラクターソング集1〜』 なる代物である。 3、4歳の頃であろうか。当時のぼくは、テレビアニメの『キン肉マン』(いま思えば、再放送だったのかも知れない)にめちゃめちゃハマっており、母にねだって買ってもらったのである。
収録曲の一つ『アシュラマンのテーマ』を、マッチこと近藤真彦が唄っていたという、もしかしたら超プレミアものの可能性もある作品で、ぼくは今でもこれを大切に保管している。 もし、誰かから、 「一万円で売ってくれ」 と言われても絶対に売らない。 ぼくの思い出はそんなに安っぽくはないのである。 「二万円ならどうだ」 と言われたら、多分、売る。 諭吉に二人がかりで攻められたら降参である。
カラオケで初めて唄った曲も覚えている。 KANの『愛は勝つ』である。 確か小学校1、2年生のとき、正月に親族一同で集まったときのことだったと記憶している。 怖い物師知らずのお調子者小学生は、伯父や伯母から「お前も何か歌えよ」とはやし立てられ、少し緊張しながら、マイクを握った。 ボーイソプラノの下手くそな歌だったはずだが、拍手喝采を浴びたのはいい思い出である。
「愛は勝つ・・・か。私は勝てなかった」
盛り上がる場の中で、伯母の一人がぽつりつぶやいた言葉の意味は、今もわからない。
音楽というものには、人は誰もがそれ相応の思い入れを持って生きていると思う。 「歌は世に連れ、人は歌に連れ」 そんな台詞さえある。 洋楽好きなオシャレさんも、八代亜紀を愛するトラックドライバーも、ビジュアル系命のコスプレイヤーも、サントラしか聞かない変わり者も、声優萌えなオタッキーも、みな本質は同じであろう。 自分の歩み来た半生をプレイバックしたとき、傍らには必ず音楽があるのである。
ぼくの傍らにも、もちろんあった。 ぼくには、大いに感銘を受け、一時期、ハマりにハマッたアーティストが居る。
「どうせシャ乱Qだろ?」 という声がどこかから聞こえて来たが、残念ながらハズレである。 シャ乱Q(つんく♂)にハマっているのは“一時期”ではない。現在進行形でハマっているのである。
高校時代のぼくの憧れ。 それは、尾崎豊である。
尾崎を知らない人のために、簡単な解説をする。
尾崎豊は『I LOVE YOU』『卒業』などのヒット曲を生み出し、80年代、若者から熱狂的な人気を集めたソロシンガーである。 17歳でデビューし、27歳で夭折した。 早熟の天才、というフレーズがよく似合う。 尾崎の告別式には、一万人近いファンが足を運んだ。その日の空は土砂降りの雨だったと聞く。 そして、死後十数年が経過した今でも“尾崎信者”は少なくない。
尾崎にはいくつもの伝説がある。 高校の卒業式の前日に退学届を出し、卒業式の当日、学校近くのライブハウスで実質的なデビューを果たし、そのとき唄った歌が『卒業』 ・・・というのは、その端緒とも言うべきエピソードであろう。 ライブで、高さ10メートルのステージセットから飛び降りて足を骨折し、しかしそのまま唄い続けたというクレイジーな逸話も残る。
ちなみに、尾崎の中学時代の同級生には、元女子バレー日本代表の中田久美が、高校時代の同級生には、俳優の高橋克典が居るが、それは今回の話とはあまり関係がないので詳細は割愛する。
で、そんな尾崎に、ぼくはハマッた。 高校一年生のことである。 ある日の下校時、たまたま寄道したCD屋で、ぼくと尾崎は運命の出会いを果たした。キューピッドは、クラスメイトのS君である。
「尾崎、いいぜ。お前も聞いてみろよ」 そう言われて、それではと軽い気持ちでアルバムを一枚、レジに持っていた。 S君と別れ、東横線の車中で、さっそくディスクマンにそれをセット。ほどなく、一曲目が流れる。 タイトルは知っていた。 『I LOVE YOY』である。
【アイラブユー。今だけは悲しい歌、聞きたくないよ】
ぼくの全身に稲妻が走った。甘くしゃがれた尾崎独特の歌声に、一瞬でぼくは心奪われた。 目を閉じて聞けば、苦しげにギターを掻き鳴らしながらも、どこか恍惚としている尾崎の表情が浮かんで来るようだった。 その日、一度家に帰るとすぐに、財布からなけなしの小遣いを持ち出して、地元の中古CD屋に走った。持ち合わせと相談しながら、店内にある尾崎を買えるだけ買った。 ぼくは尾崎の虜になった。
それからのぼくは、にわか、と言えども尾崎信者である。退屈な日曜の午後などは、部屋で一人、ずっと尾崎を聞いているという暗い生活を楽しんだ。 尾崎は一人で孤独に聞かなくてはならないと思い込みつつ、そんな孤独な俺ってちょっとカッコイイ、と思っていた恥ずかしい時代の話である。
「お前は今でもいろいろ恥ずかしいだろ」 という声がどこかから聞こえて来たが、驚くなかれ、当時のぼくは、今よりもっと恥ずかしかったのである。
とにもかくにも、ぼくは、尾崎が紡ぐ歌詞の世界に酔っていた。
例えば『17歳の地図』のこんな一節。
【バカ騒ぎしてる街角の俺たちの、かたくなな心と黒い瞳には寂しい影が。喧嘩にナンパ、愚痴でもこぼせばみんな同じさ】
この歌詞に痺れた。憧れた。
生来気弱なぼくは、喧嘩などしたことがなかった。 喧嘩と言えば、昼休みにクラスメイトと将棋を指していて、
「待った」 「待ったなし」 「いや待った」 「駄目だ汚いぞ」 「いいじゃん一度くらい」 「いやお前は昨日も待ったした」 「俺の飛車返せ」 「返すもんか、もう俺のだ」 「ケチ」 「ケチとは何だ」 「ケチにケチって言って何が悪い」 「ケチって言った奴がケチなんだ」
という程度である。
ましてやナンパなど、である。そんなものにトライする勇気など、かけらも持ち合わせていなかった。 いなかった、って言うか、今も持っていない。 ナンパと言えば、ある日の帰り道、久方ぶりに再会した幼馴染みの女の子に、
「ど、どう、帰りにちょっと」 「ちょっと何?」 「ま、マックでジュースでも、お、おごるよ」 「今日忙しいからまた今度ね」 「じゃ、じゃあ、ででで電話番号のこ、交換」 「近々、携帯替えるんだ、そのときに」 「あああ、なら俺の電話番号を教え」 「じゃあまたねー」 「お、おう、ま、またね」
そんな思い出しかない。
だが、尾崎はどうだろう。 尾崎の言う「喧嘩」からは、明らかに“血”の匂いが漂う。“拳”が連想される。 そして「ナンパ」からは、もっと直接的な“男”のイメージが溢れている。 ぼくはこうはなれない。 遠かった。だから、憧れた。
しかし、そんな尾崎でも、 「愚痴でもこぼす」 というのである。 愚痴をこぼすことなら、自慢じゃないが、そんじょそこらの奴には負けない自信がある。まあ愚痴をこぼさせたらぼくは天下一品である。
尾崎は、ぼくと違っていて、ぼくと同じだった。
尾崎について語るべきことはまだ沢山ある。 が、あまり長くなって、このページの数少ない貴重な読者を疲れさせては大変である。 続きはまた次回に書くことにする。
そう、これはあくまでも読者のためである。 「うへへ、久しぶりにスラスラ書けるテーマを思い付いたぞ。これは一回で終らせてはもったいない。二回に分けて更新すれば楽ができるぞ」 などという、ズルいことを考えているわけでは決してない。そ、そんなことあるものか。
ましてや、例のキノコとの間に、
「なあ、キノコ」 「えへっえへっ、呼んだ?」 「前回のブログなんだけど」 「えへっえへっ、読んだ」 「ワンワードのサイドストーリー、どうだった?」 「えへっえへっ、駄作」 「おぅ」 「えへっえへっ、駄作」 「うるせぇ、二回も言うな!」 「(ぽふっ)」 「あれ面白かっただろ? だって、稽古場でメンバーに読ませたときは、みんな絶賛してくれたぜ」 「(ぽふぽふぽふぽーーーっ)」 「駄作ってことはねぇだ」 「私が言っているのはそういう意味ではない。あの話はあくまでもメンバーへの内輪ウケを前提とした作品であり、それを劇団関係者以外の方も閲覧してくれているこのブログという公的な場において何のてらいもなく発表することは、すなわち書き手である君の驕りであり堕落でありひいては甘えである。私はそうした君の姿勢に猛省を促したく、あえて駄作という言葉を使用させてもらったのだ」 「え、あ、あの、キノコ?」 「(ぽひゅーん)」 「あの、その」 「えへっえへっ、ブログ」 「・・・」 「えへっえへっ、次は」 「・・・」 「えへっえへっ、期待」 「・・・うん」
なんていうやり取りがあったかなかったかは、全て皆様の想像にお任せする次第である。
何はともあれ、次回も「尾崎豊論」にお付き合い頂ければ幸いである。
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