短編小説 NO.1『遺産相続』
親父が死んだ。 その報告を受けたとき、俺は飛び上がらんばかりに、いや、実際に飛び上がって喜んだ。 ついに、ついに死んでくれた! もちろん俺も人の子だ。肉親の死に対して、哀惜の念が全然ないわけではない。が、やはりそれより喜びの方が大きい。 俺は親父の次男だ。世間では放蕩息子、馬鹿息子と陰口を叩かれて来た。実際そうだった。大学を出た後も、特に職に就くこともなく、親父の小遣いでのほほんと生きて来た。遊び呆けて日々は流れた。 数年前、親父は突如、俺に愛想を尽かした。小遣いを少しずつ減らされ、ついにはなくされた。俺の生活は一変し、最近では三度の飯も不十分だった。胃の痛くなるような毎日だった。例え話ではなく、本当に胃痛に悩まされた。若い頃からの不摂生な暮らしの反動か、日銭を稼ぐための慣れぬ肉体労働でのストレスか、俺の胃は悲鳴を上げていた。 が、それも今日までだ。 遺産。 俺の目の前にそれがチラ付く。親父は、地元ではそれなりに名の通った建設会社の社長だった。悪どい手法で、かなり儲けていた。遺産はたんまりあるはずだ。それを頂けば。 俺は天にも昇る気持ちだった。
親父の葬儀は盛大だった。久々に地元に帰ったのだが、相変わらず会社の業績は順調だったようだ。これなら、と俺はほくそ笑んだ。遺産はたんまりある。確信できた。 「おい」 ふいに背後から名前を呼ばれた。振り返ると、兄貴がいた。 「親父が死んで、さっそく遺産狙いか」 さすが兄貴だ。俺のことをよくわかっている。俺は子どもの頃から兄貴が大嫌いだった。 「まあ、遺産を貰う権利は俺にもあるからね」 俺はわざと小ずるく笑ってやった。 兄貴は、俺と違って真面目で優秀だった。今は親父の会社で要職に着いている。だが、俺は知っていた。親父は、頭が切れ過ぎる兄貴のことを信頼していなかった。仕事上で意見が対立するたび、親父は俺に電話でよく愚痴を言っていた。 「兄貴よ」 俺は言った。 「出来の悪い子ほどかわいい、って昔から言うだろ。親父は、もしかしたらあんたには遺産を一銭も残さず、俺に全てを譲り渡す遺言状でも書いているかも知れないぜ」 それは俺の予感だった。
葬儀が終わるとすぐに、親族が大広間に集まった。いよいよこれから遺産相続の話がなされるのだ。 と、大広間に行ってみて驚いた。まさかと言うべきか案の定と言うべきか、そこには俺の見知らぬ「親族」がうようよ居やがった。親父のいとこだと名乗る冴えないおっさん、はとこと主張する化粧が濃過ぎるおばさん、果ては死んだお袋の弟の妻の孫の婚約者の友人などという大学生も現われ、待てよこいつは血縁者でも何でもないじゃないかとすぐに気付かれて追い出されて、要するに混沌としていた。 まったく、どいつもこいつも金の亡者ばかりだ。親父が死んだ途端に遺産に群がりやがって。俺は憤怒にかられ、また胃が痛くなってきた。早く俺を楽にしてくれ、一番の薬はお現金様なのだ。 やがて、弁護士資格を持っているという親父の秘書がうやうやしく室内に入り、懐から一通の書面を取り出した。 遺言状だ。 あれに、親父が残した多額のお現金様の行方が書かれている。俺はごくりと唾を飲んだ。隣りの兄貴の喉下からも同じような音がした。 「ご親族の皆様方」 秘書がゆっくりと、もったいぶった口調で話し始める。 「これより、遺産の行方を発表致します」 アカデミー賞のプレゼンターかお前は。俺は心の中でこっそり突っ込みを入れつつ、しかし、遺言状の存在を確認したことで安心していた。 親父が遺言状を残していなければ、遺産は親族に、いわゆる法定相続の原則に沿って振り分けられる。だが、遺言状の法的拘束力は絶対だ。そこに「遺産は全て次男へ託す」と書かれてあれば、他者は相続の権利を失う。反論の余地はない。 秘書が書面を広げ、読み出す。 「遺産は全て」 緊張の一瞬。来い、遺産よ来い、俺に来い。 「長男に」 馬鹿な、有り得ん! 兄貴が興奮した面持ちでグイっと身を乗り出す。 「渡そうと思ったがやめて」 身を乗り出した勢いのまま、兄貴は額から崩れ落ちた。哀れな男だ。失笑を禁じ得ない。とにかく兄貴は脱落した。他には怖い者など居ない。遺産は俺のもので確定だ。 俺は手元の茶を静かに啜った。勝利の美酒代わりだ。 「次男に全て渡す」 そう。そういうこと。茶が旨い。 「ことだけは絶対にしないで」 俺は茶をぶほっと吹き出した。 「全てユニセフに寄付します」 待て待て待て待て、俺は秘書に掴みかかった。 「嘘を吐けボケ、そんなわけあるかい!」 「ほ、ほんとです、そ、そう書いてあるんです」 眼前に突きつけられた書面には、クセの強い親父の筆跡で、確かにそう書かれてあった。 胃痛がまた俺を襲って来た。それまで感じたことのないほど激しいものだった。苦しい。意識が薄れる。 混濁した意識の中で、秘書が遺言状を読む続きがぼんやりと聞こえて来た。 「重度の胃がんに冒された私は自分の死期を悟り、右のように遺言状をしたためることにした。これまで悪どい手法で事業を拡大して来たので、せめてその償いにユニセフに・・・」 ああそうか。親父の死因は胃がんだったのか。俺は親父から一坪の土地も一銭の現金も相続できなかったが、この厄介な胃だけはきっちり受け継いでいたということか。
胃酸相続。
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