今日のテーマ『聖地』
中野ブロードウェイ。 人はそこを「オタクの聖地」と呼ぶ。
先日、所用で中野に行ったときのことである。 ぼくは、そのときの同行人から、そう聞かされた。 「ふーん、聖地ねぇ。興味ないなぁ」 ぼくは答えた。ぼくはオタクではない。 「騙されたと思って一度行ってみようよ」 渋るぼくを尻目に、同行人はずんずんと“聖地”へ向かって歩いて行く。 ぼくは正直あまり乗り気ではなかったが、何となく同行人に着いて行った。まぁ、何事も経験である。
「聖地って、何があるの?」 ぼくは同行人の背に問う。 「いろいろ。フィギュアとか」 フィギュアねぇ。まったく興味がなかった。 例えば、エヴァンゲリオンの綾波レイや涼宮ハルヒシリーズの朝比奈みくるの等身大パネル。そんなものが頭に浮かんだ。やっぱりあんまり興味が湧かない。もちろん、そうした嗜好を否定するつもりはないが、ぼくはオタクではないのである。 ぼくがそう口にすると、 「いいから、来てみりゃわかるって」 同行人はぼくを半ば強引にエスカレーターに乗せた。 どうやら、もう“聖地”に入っていたらしい。
「こ、これは、ロッテの平井!」
エスカレーターを降りてすぐ、まんだらけの一区画、ショーウィンドウに飾られた一枚のサイン色紙がぼくの目に飛び込んで来た。 それは、まごうことなく、プロ野球ロッテ・マリーンズ平井選手のサイン色紙だった。 平井。 91年にパ・リーグ首位打者を獲得した名選手である。ぼくは筋金入りの日ハムファンだが、岩本やグロスを筆頭とする当時の日ハム主力投手が、平井にパカスカ打たれていたのを覚えている。言わば、ぼくにとっては憎き平井。その平井の直筆サイン色紙が売られていたのである。 ぼくは郷愁にかられ、しばらくその場を動けなかった。
「どうした、聖地の凄さに戦いているのか?」 同行人がニヤリと笑う。 「べ、別に。ぼくはオタクじゃないからな」 ぼくは反論したが、確実に動揺していた。 「なぁM君」 「な、なんだよ同行人」 「君は確か、キン肉マンが好きだったよな?」 「す、好きだけど・・・それが何か?」 「あれを見たまえ」 同行人が、ニヒルにとある一角を指し示した。
「あああああ!」
ぼくは思わず声を挙げた。
ネプチューンマン。
何ということであろう、そこに屹立していたのは、あのネプチューンマンの人形だったのだ! ネプチューンマン。 いまさら説明するのも蛇足であろう。ネプチューンマンを知らない日本人など居ないのだから。だが、万万万が一、ネプチューンマンを知らない読者のために説明しておこう。 本名・ケンカマン(喧嘩男) 完璧超人の首領である。口癖の「ナンバーワーン」は、あわや流行語大賞だった。ロビンマスクとの因縁の試合、ビッグザ武道との連携技であるクロスボンバー、キン肉マンとの死闘、そして壮絶な最期、まさかの復活、これ以上書くとネタバレになるので自粛するが、とにかくネプチューンマンはネプチューンマンなのである。
「ネプ様・・・ネプ様・・・」 ぼくは、もう少しで涎が垂れそうになるのを懸命にこらえながら、ネプチューンマン様が凛々しくお立ちあそばされているショーウィンドーに顔を密着させた。 厚さ数ミリのガラスが、ぼくとネプチューンマン様との間を隔てる。もどかしいもどかしいもどかしい。手が届きそうで届かない切なさ、そう、人生とはいつも、いや違う、そんな話はどうでもいい、何てったってネプチューンマン様である。
「どうしたM君、目が血走っているよ」 同行人がニヒルに笑った。その笑みは、まるで登場した当初のスーパーゼブラである。 「ななな、何でもない。ぼくは別にネプチュ」 「なあM君」 「な、何だよ!」 「君は、聖闘士星矢(セイントセイヤ)も好きだったな」 「!!!」
ぼくの心が激しく高鳴った。 聖闘士星矢。 それは、ぼくが最も愛した漫画である。車田正美の最高傑作であり、ドラゴンボール以前の週刊少年ジャンプを支えた、日本史上に燦然と輝く不朽の名作である。
「あ、ああ。星矢は好きだが」 「あれを見てみなよ」
まさか・・・まさかまさかまさか! ぼくは同行人の人差指の向こう側へと走り出していた。 まさか、あるというのか、聖闘士星矢のフィギュアが! 人波を掻き分けて走りながら、ぼくの脳裏に、幼き日々の記憶がフラッシュバックした。
おもちゃ屋に行くたびに、母に父に、伯母に祖父に、おねだりして買ってもらっていた聖闘士星矢フィギュア。少年Mの宝物だったフィギュアたち。 一人っ子で、決して友だちの多い子ではなかったぼくにとって、彼らは友だちであり兄であり弟だった。中学校に入るくらいまで、ぼくは彼らで遊んでいた。自分でストーリーを考え、自分で彼らを動かし、彼らの台詞を考えていた。 あるいは、ぼくが今、演劇などというものに携わっていることの元風景は、彼らなのかも知れなかった。 その彼らに、ぼくは再会できるのか? 成長とともにいつの間にか忘れ去り、大人の階段を昇る途中の踊り場に捨てて来てしまった彼ら。 ぼくは、彼らにまた会えるのか? ぼくは走った。走って走って走って、
「うぉぉぉぉぉーーーーー!!!!!」
叫んだ。
そこには、確かに居たのである。 星矢が、氷河が、紫龍が、瞬が、そして、一輝が! 彼らは、ぼくを待っていてくれた。 彼らを忘れ、彼らを捨ててしまったぼくを、ぼくのその罪を許すかのように、そこに居てくれた。
「一輝・・・一輝!」 ぼくは一輝フィギュアにすがって泣いた。 一輝は優しく笑っていた。 そんなぼくを眺める同行人も、優しく笑っていた。
ふと、ぼくは一輝の横を見た。
「ふぬうぉぉぉぉぉぉーーーー!」
そしてまた咆哮した。 そこに居たのは、何てことだろうか、驚くなかれ、いやぜひとも驚いてほしい。
アルデバランが居たのである。
アルデバランだけならまだしも、アイオリアが、シャカが、アフロディーテが、教皇アーレスが居たのである。 ぼくのこの衝撃は、きっと読者諸兄にもおわかりいただけると思う。彼ら黄金聖闘士を前にして、平れ伏さぬ者など居るはずもないのだから。
ぼくは一輝に「ちょっとごめんよ」一言謝り、アルデバランの角を食い入るように眺めた。角が折れている。そう、星矢との格闘で折れた角が再現されているのである。 ぼくは次第にくらくらしてきた。萌え萌えしてきた。 そして、そんなぼくに決定打を与えたのは、アルデバランの隣りに陳列されていたあの御方である。
「○×※☆▽□◇+!!!」
ぼくは、言語ならざる雄叫びを発し、鼻血を吹き上げた。
ラダマンティス!
ラダマンティスが居たのである。少年時代、欲しくて欲しくて仕方なくて、しかし、当時はなぜか近所のおもちゃ屋にも、ライオン像でお馴染みのデパートにも、買物袋がバラでお洒落なデパートにもなかった、麗しのラダマンティス殿。
いまさらラダマンティスについての解説をすることなど、読者諸兄にとっては釈迦に説法であることは百も承知しているが、それでもぼくは語らねばなるまい。
ラダマンティス。 冥界三巨頭の一人にして、最強のスペクター。彼が放つ奥義グレイテストコーションは、ベジータのギャリック砲、飛影の邪王炎殺黒龍波と並ぶ、宇宙三大奥義の一つであることは、すでに欧米社会では常識となっている。ラダマンティスのクールにしてキュートなルックスは、吉田栄作、加勢大周を抑えて、アンアンの抱かれたい男ランキングで1位に輝いたことなど、昨今の教科書にも載っている。
そのラダマンティスが、ぼくに微笑んでいた。
どれくらい、その場で動けずに居ただろう。もしかすると、ぼくは夢を見ていたのかも知れない。気がついたとき、ぼくはサイゼリアのイタリアンハンバーグを食しながら、同行人に聖闘士星矢の魅力について我を忘れて語っていた。
「M君。楽しかったか?」 「うん!」 「M君、君はやっぱり」 「うん。オタク!」 「よしよし、また巡礼しような、聖地を」 「うん。また来る!」
同行人が、くくくっと笑った。
中野ブロードウェイ。 人はそこを“オタクの聖地”と呼ぶ。
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