今日のテーマ「表現の違い」
ある人物や物事をとらえて、それをどう表現するかは個々人によって、あるいは技法によって大きな差が出るだろう。
例えば、給料のほとんどを酒代に費やす人物を、
「宵越しの銭は持たない侍」
と評するも、
「酔っ払い」
と評するも、結局は個々人の主観の問題である。
どちらも“事実”に違いはない。
また、予選リーグ全敗で終わった今回の五輪サッカー日本代表に対して各新聞社などが、
「世界の壁は厚く、惨敗」
と評するも、
「ワールドカップに向けて経験を積んだ善戦」
と評するも、結局は書き手の論調の違いである。
“事実”は唯一つである。
先日、友人のH君と久方ぶりにボウリングなど嗜んだ。
そのときの結果、すなわち“事実”は、
「H君が勝った」
という、一行で済む話である。
その事実をどういう表現で、どう膨らませて読者に伝えるかは、あくまでも書き手である私の問題である。
そこで今日は、その勝負の模様を、以下の二つの表現パターンで記してみようと思う。
【夏休みの絵日記風】
きょう、ぼくは、えっち君とボウリソグをしました。
えっち君はとても強かったので、ぼくはなんとかして勝とうと思って、16ポンドのボールをまちがってえっち君の足に落としてしまいました。えっち君はりあくしょんしました。
とてもおもしろかったです。
えっち君は「おれをおこらせちまったな」と言って、こうなったらおうぎを使うしかないと言いましたが、ぼくはちっとも聞いてなかったので、えっち君はおこって、となりのレーンにボールを投げてしまい、となりの人に怒られました。
とてもおもしろかったです。
しょうぶは、えっち君が少しだけ勝ちました。そんなことはありえないと思いました。次は勝ちたいです。
【古典風】
えむの君(←私のこと)、ぼうりんぐを嗜みたり。もって世情の人々、下手の横好き、と噂す。意に介さず。
向日葵の咲く頃、遠方より友来たる。えっちの君と称す。
二人、ぼうりんぐなどして慰みたる。
えむの君、いずれにしてこれに勝たんやと画策す。やがて妙案を思しましたり。数十貫の玉持ちて、Hの君のおみ足に落としけり。えっちの君、しとど驚き給ひて「がっでむがっでむ」とのたまひけり。いとあわれなり。
えっちの君、怒髪天を突き給ふ。「我が奥義見るべし」とのたまひれる。意に介さず。
えっちの君、脇のれーんに玉を投げ給ふ。乱心と言はずとして何と呼び給ふや。隣りの人、怒り給ふ。いとあわれなり。
軍配はえっちの君に上がりぬ。人々、驚天動地す。
えむの君、心中穏やかならざるは、あさましきことかな。
書いてある内容は、二つともまったく同じである。
が、受ける印象はだいぶ違うのではないだろうか。
私も(一応)書き手の端くれである。今後も様々な表現を学んで行きたいものだと、徒然なるままにものぐるおし。
なお、古文はあくまで古文風なので、
「敬語に誤りがある」
など、受験生の苦情は一切受け付けないのであしからず。