今日のテーマ『青春の1コマ』
音楽というものには、人は誰もがそれ相応の思い入れを持って生きていると思う。 「歌は世に連れ、人は歌に連れ」 そんな台詞さえある。 洋楽好きなオシャレさんも、八代亜紀を愛するトラックドライバーも、ビジュアル系命のコスプレイヤーも、声優萌えなヲタクも、みな本質は同じであろう。 自分の歩み来た半生をプレイバックしたとき、傍らには必ず音楽があるのである。
ぼくの傍らにも、もちろんあった。 ぼくには、大いに感銘を受け、一時期、ハマりにハマッたアーティストが居る。
「どうせシャ乱Qだろ?」 という声がどこかから聞こえて来たが、残念ながらハズレである。 シャ乱Q(つんく♂)にハマっているのは“一時期”ではない。現在進行形でハマっているのである。
高校時代のぼくの憧れ。 それは、尾崎豊である。
尾崎を知らない人のために、簡単な解説をする。
尾崎豊は『I LOVE YOU』『卒業』などのヒット曲を生み出し、80年代、若者から熱狂的な人気を集めたソロシンガーである。 17歳でデビューし、27歳で夭折した。 早熟の天才、というフレーズがよく似合う。 尾崎の告別式には、一万人近いファンが足を運んだ。その日の空は土砂降りの雨だったと聞く。 そして、死後十数年が経過した今でも“尾崎信者”は少なくない。
ちなみに、尾崎の中学時代の同級生には、元女子バレー日本代表の中田久美が、高校時代の同級生には、俳優の高橋克典が居るが、それは今回の話とはあまり関係がないので詳細は割愛する。
で、そんな尾崎に、ぼくはハマッた。 とにかく、ぼくは尾崎が紡ぐ歌詞の世界に酔っていた。
例えば『17歳の地図』のこんな一節。
【バカ騒ぎしてる街角の俺たちの、かたくなな心と黒い瞳には寂しい影が。喧嘩にナンパ、愚痴でもこぼせばみんな同じさ】
この歌詞に痺れた。憧れた。
生来気弱なぼくは、喧嘩などしたことがなかった。 喧嘩と言えば、昼休みにクラスメイトと将棋を指していて、待ったいや待たないでもめた程度である。
ましてやナンパなど、とてもとても。 そんなものにトライする勇気など、かけらも持ち合わせていなかった。いなかった、って言うか今も持っていない。 ナンパと言えば、ある日の帰り道、久方ぶりに再会した幼馴染みの女の子に、
「ど、どう、帰りにちょっと」 「ちょっと何?」 「ま、マックでジュースでも、お、おごるよ」 「今日忙しいからまた今度ね」 「じゃ、じゃあ、ででで電話番号のこ、交換」 「近々、携帯替えるんだ、そのときに」 「あああ、なら俺の電話番号を教え」 「じゃあまたねー」 「お、おう、ま、またね」
そんな思い出しかない。
ぼくは尾崎にはなれない。 遠かった。だから、憧れた。
有名な尾崎の歌詞はまだある。 『卒業』のワンフレーズ、
【夜の校舎、窓ガラス壊して回った】
この曲がリリースされた時期は、校内暴力が社会問題となっていた時代と重なる。 尾崎自身にもそういう経験があったのであろうか。リアリティーのある暴力的な、しかし、どこか物憂げな風景が浮かんで来る。
ぼくはこの歌詞にも興奮した。窓ガラスを壊すなど、ぼくには想像も付かない蛮行である。 カッコイイ、俺も、人生で一度くらい、そんなヤンチャをしてみたい。 そう思っちまったのである。
だが、現実には、ぼくは、朝の校舎の窓ガラス拭いてるのが精一杯だった。 尾崎とぼくは、嫌になるほど違っていた。
そもそも、尾崎豊が昔も今も若者(主にティーン)から絶大な支持を得る最大の理由は何であろうか。 それは、彼が若者たちの“代弁者”たり得たからであろう。
前出の『卒業』のこんな一節、
【放課後、街ふらつき俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ寂しく歩いた】
あるいは『原色の孤独』では、
【孤独さ、ありきたりの矛盾に身を任せなよ】
尾崎の多くの歌には“孤独”や“寂しさ”といったフレーズが登場する。 ティーン特有の、どこかナルシシズムを含んだ焦燥や苛立ちや虚無感を、尾崎は見事に語っている。 それはおそらく、尾崎自身が抱える心の闇を率直に吐露していたものなのだろう。 赤裸々。そんな言葉が思い浮かぶ。
だが、決して尾崎は、絶望に彩られた“不の歌”を奏でていたわけではなかった。 『17歳の地図』のサビを見てみると、
【人並みの中をかきわけ、壁伝いに歩けば、しがらみのこの街だから、強く生きなきゃと思うんだ】
さらに『僕が僕であるために』では、
【僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない。正しいものが何なのか、それがこの胸にわかるまで】
あくまでも、尾崎は強く、たくましく、前向きに生きて行こうとしていた。希望を信じようとしていた。 それがまた、若者の心を打ち震わせるのだろう。 悲壮なまでの決意。見え隠れするヒロイズム。
尾崎豊は永遠の高校生だった。 それが、ぼくの結論である。
最後に、尾崎にまつわる思い出話をもう一つ。
ぼくが尾崎にハマっていた頃、他のクラスメイトたちにも、尾崎熱病が蔓延していた。 そんな中、ぼくらは「尾崎部」を結成した。 主たる活動内容は、昼休みに教室併設のテラスに出て、校庭でサッカーやら野球やらに興じる体育会系的な連中をぼんやり眺めながら、他人の迷惑にならない程度の声量で尾崎を延々と口ずさむという、それはそれは地味なものだった。
「かったりぃなぁ、午後の授業、サボろうぜ」 「いいねぇ、カラオケ行こうぜ」 「尾崎オンリーでいこうぜ」 などとワルぶって会話していた。 が、昼休み終了のチャイムが鳴ると、 「5限何だっけ」 「数学」 「やべぇ、予習してねぇ」 「俺、やってあるよ」 「ノート見せて見せて」 慌てて席に着いた。
そんな毎日だった。
今では疎遠になってしまった「尾崎部」の面々を、たまに思い起こすことがある。 ある者は普通の勤め人として、またある者は親の家業を継ぎ、さらにある者はうっかり劇団など運営しながら、それぞれの暮らしを営んでいる。 きっと誰もが、時おり思い出したように、尾崎豊を聞き、口ずさんでいるのだと思う。
あの頃、ぼくらの傍らには尾崎豊が居た。 恥ずかしくも懐かしい、青春の1ページである。
(この作品は、06年12月15日、22日に掲載した作品を加筆・修正したものの再録です。また、ミクシィにおける代表のつぶやき日記と連動しています)
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