死ぬかと思った話 1
今日のテーマ『死ぬかと思った CASE1』

 人間誰しも、一度や二度は「死ぬかと思った」瞬間があることだろう。
 海で溺れかけたとき、ドライブ中に対向車のヘッドライトを突然浴びたとき、搭乗していた飛行機が乱気流に飲まれたとき、などなど。
 それは、想像を絶する恐怖体験。二度と同じ場面には遭遇したくないと願う大大大ピンチ。
 しかしまぁ、「死ぬかと思った」と思えるということは、その危機を、まさに危機一髪、回避できたということで、その点では自分の幸運を神様だか仏様だか稲尾様だかに感謝しなくてはならない。

 かく言うぼくも、これまで四半世紀ほど生きて来た中で、そんな恐ろしい瞬間を二度ばかり経験している。思い出すだけで鳥肌が立ってしまうのだが、今日は忌まわしき記憶を紐解いてみる。

 一度目は、中学二年生のとき。学校行事の一環として12月に実施された「スキー教室」での1コマである。
 題して『光速スキーヤー事件』
 このときの恐怖を、今でもぼくは、ときおり夢に見る。

 事件現場となったのは、忘れもしない、長野県の志賀高原・・・あれ、それは中一のときだっけか、そうだ、北海道のニセコプリンス・・・違うな、新潟県のガーラ湯沢・・・って言うかガーラって何だガ―ラって? あ、そうだ、やっぱり長野でいいんだ、思い出した。
 忘れもしない、長野県の志賀高原である。

 すでに昨年のスキー教室で、それなりの経験を積んでいたこともあり、この年は気楽なもんだった。ボーゲンを完璧にマスターしていたぼくは、すでに中級者向けコースだって、美しい「足を八の字」スタイルで平然と滑降できるようになっていた。
 一部の上級者や、幼い頃からのスキー体験者たちは、より高度で専門的なレッスンを受けていたが、当時のぼくには、ことスポーツに関しては向上心がゼロだった。自分と同レベルの仲間たちと共に、ボーゲン万歳と叫びながら、足を八の字にしつつ、絶妙のへッピリ腰で、冬山を満喫していた。

 スキー教室最終日。この日の午前中は、検定試験が行われた。知らない方もいると思うが、スキーにはれっきとした検定がある。一級だか特一級だかを取得すると、インストラクターになれるらしい。
 ぼくが受験したのは、四級である。実施課目は「ボーゲン」
 落第するはずもなく、ぼくは四級検定バッジを授与された。
 検定というものは、それがどんなに実生活で役に立たなかろうが、まったく人に自慢できるものではなかろうが、合格すれば嬉しいもんである。
 ぼくはその四級バッジを、大切にスキーウェアーのポケットに入れた。

 さて、その日の夜。
 帰宅を翌日に控えての、今スキー教室最後にして最大のイベント、自由走行の時間がやってきた。
 一年生のときには、安全上の配慮から、このイベントはなかった。当時からバリバリのスキーヤーだった連中は、かなり不満を言っていたものである。しかし、今年は自由である。
 スポーツがあまり得意でないぼくだが、そこは中二の若さである。筋肉痛知らずのヤングボディーである。おまけに、中学生の時分というのは、なぜか「自由」という響きに弱い。自由なんだから自由にしなきゃ、と決まり事のように考えていた。
 このとき、ぼくの「恐怖の瞬間」へのカウントダウンが始まっていた。

 夜のゲレンデは美しかった。スタンドライトが白銀を青く照らし、ふと空を見上げれば、雪雲から半分だけ顔を覗かせるオレンジの月。ときおり頬を撫ぜる風は、痛いくらいに冷たいはずなのに、どこか温かい。
 ああ神秘。ここは真冬の幻想パラダイス。
 ぼくはそんなことを考えながら、限りなくフラットに近い初心者コースをゆっくりゆっくり走行していた。完全無欠なボーゲンで。

 ふと周囲を見ると、さっきまで一緒に滑っていたはずのK藤やS木の姿がない。
 はて、どこに行ってしまったのだろう。大方、さっさと自由走行を切り上げて宿舎に戻り、部屋でカード麻雀でもしてるのだろう。まったく風情のかけらもない奴らめ。もっとこの自由を謳歌すればいいのに、もっとこの雪山の美しさを、体全部で受け止めればいいのに。あれ、あそこにいるのはY崎とW田じゃないか。上級者の彼らが、どうして初心者コースにいるんだ? まぁいいか、だって自由だもん。きっと、たまには簡単なコースでのんびり滑りたくなったのだろ・・・

 その瞬間 “ガクン” という衝撃がぼくを襲った。

「えっ???」
 思わず声に出した。頭の中に「?」マークが無数に浮かんだ。
 そして次の瞬間、ぼくは急激に加速した。

 コースを間違えた。

 その結論に達するまで、多分2秒くらい。慣れ親しんだ初心者コースを、文字通り目をつぶりながら滑っていたぼくは、いつの間にか上級者コースに迷い込んでいたのだ。
 ぼくの脳裏に、インストラクターの先生の声が、普段は体育大学の大学生で夏休みにはプールの指導員もしていて生徒たちから「せんせー、カノジョいんの?」と憎まれ口を叩かれながらも笑顔を絶やさなかった、インストラクターの先生の声が蘇った。

『こっちの坂は上級者コースにつながってるから、まだボーゲンしかできないお前たちは絶対行くなよ。死ぬよ。アッハッハ』

 アッハッハ。そうか、ぼくは“こっちの坂”に来ちゃったのか。
 アッハッハ、アッハッハ・・・笑っている場合じゃない!!

 その間にも、ぼくはスピードを増していく。グングンと加速していく。まずはそれを止めなくてはならない。
 スキーにおいて、いわゆる「ブレーキ」をかける方法はいくつかあって、一番簡単な方法は、両足後部を左右に広げることである。つまり、ボーゲンで作った八を、
『八→−−』のようにするのだ。
 ぼくはそのようにした。思いっきり足を広げた。
 足がつった。

 おまけに、まったくスピードは落ちない。落ちないどころか、より加速を増している。きっと、今のぼくは光よりも速い。そして、これ以上 足を開いたら、120%股が裂ける。

 ここまで来ると、ぼくは完全にパニックである。こんなことなら、スキー板を平行に揃えて、それを前方に突き出しながら体を半回転さる、高度にして華麗な止まり方を習得しておくんだった。あれは実にカッコイイんだよなぁ。雪煙がファサーって待って・・・。しかし、ぼくにはできない。

 パニックになりつつも、どこか冷静な自分がいる。
 ふいに、ぼくの脳裏に再び、インストラクターの先生の言葉が蘇った。

『危険を感じたら、体を丸めて横向きに転ぶんだ』

 そうだ、その手があった。
 ぼくは転ぶことにした。ゴロゴロと転がり続けて雪だるまになってしまう恐れもあるが、この際その恥は忍ぼう。
 しかし、思い止まる。先生が『転べ』と言っていたのは、どう考えても初心者コースでの低速を想定しての話である。今、この超特急状態で無理に転んだら、無傷では済まない。
 ボーゲンで「八」になっている足が、「8」になる。エラい違いである。

 落ち着け落ち着くんだぼく。どうする、どうする・・・
「おおっ、あいつメチャクチャ速ぇぞ!」
 気付かぬ間に、誰か追い抜いていたらしい。ぼくは、その誰かと衝突しなかった幸運を神に感謝し、いや、ぼくをこんな目に合わすとは神って何てイタズラなお方と悪態をつき、要するにテンパッていた。

 ああ・・・もうこりゃ駄目だ、死ぬわ。転ぶか誰かにぶつかるかして、どのみち、ぼくはこの雪山に露と消えるわ。
 ぼくは覚悟を決めた。ほら、目の前にぼんやり三途の川が見える。
 次第に辺りは静けさを増して、あんなに猛スピードで疾走していたはずなのに、今は穏やかな速度で、まるで止まっているみたいだもん・・・

 ・・・本当に止まっていた!

 そう。ぼくは止まっていたのだ。我に返って周囲を見渡すと、ぼくはゲレンデのメインスタンド、その終着点に立っていた。すぐ右手には、リフト乗り場がある。間違いなく、ここはゲレンデのふもとだ。
 助かった・・・ぼくは助かったのだ。

 どうやって止まったかの記憶が、今でもぼくはポッカリと欠落している。常識的に考えれば、コースの坂がフラットに戻って徐々に減速し、やがて引力だか慣性だかの法則通りに止まったのだろうが、ぼくには自分が無傷で立っていることが信じられなかった。
 信じられないが、とにかく助かったのだ。
 急に脱力感に捕らわれ、その場にヘナヘナと座り込む。ふと見上げたメインスタンドは、ぼくの目には直角の壁に映った。

 気を落ち着かせるため、とりあえず眼鏡でも拭こうと思って、ハンカチを入れてあるスキーウェアーのポケットに手を突っ込む。何か固いものに指先が触れて、ぼくはそれを取り出す。
 つい先程もらった、四級の検定バッジだった。
 ぼくはそいつをギュッと握り締めて、一人でつぶやいた。

 「ボーゲン万歳」
【2008/09/30 16:21】 | 月の砂漠 | トラックバック(0) | コメント(0)
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